文献にはいろんなことがたくさん書いてあるけど、でも肝心なこともたくさん抜けてると思う。
最たるものは前鬼のこと。あたしを守ってくれるいい鬼なんだって、おばあちゃんから何度も聞かされた。本にも、前鬼が小角様と一緒に悪い妖怪を退治したことしか書いてなかった。
それはまあ嘘じゃないかもしれないけど、あたしが書き残してほしかったのは別の事で。
実は乱暴で自己中で大食らいな上口が悪くて頭も良くないとか、暴れることと食べることにしか興味がないんだとか、そーゆうことをまず先に教えてほしかったのに。
それから、
「ねえ前鬼、55代様のお話して」
「あァん?」
それから、前鬼と55代様のこと。
前鬼は後鬼と違って、あたしのことをマスターと呼ばないし、勝手なことばかりする。後鬼によれば、小角様に対しても似たような態度ばっかりとってたんだって。けど55代様はチカラこそ弱かったものの、小角様より前鬼の扱いは巧かったらしい。
変な話だと思う。『弱きを虐げ強きを挫く』を座右の銘に持ってるとしか思えないような前鬼が、小角様にさえ不遜な態度だったっていうのに、それよりもずっとチカラの弱い主に膝を折るなんて。
「いいでしょ? お話。聞いたらもう寝るから」
だからあたしは毎日話をねだる。前鬼は意地悪で、あたしの命令は殆ど聞いてくれないけど、このお願いだけはどういうわけか、不承不承を装いながら叶えてくれるんだ。
「……………………仕方ねえな、さっさと寝るんだぞ」
何が楽しくて聞きたがるのか知れねえな。
前鬼が教えてくれる話の殆どは55代様の失敗談で、あたしとしては、もっといい話が聞きたいんだけど。
でもどんな話でさえ、前鬼が55代様のことを口にする時は、なんだかずっと遠くを見るような、そこにある何かを見付けようとするような目をするから。
その眼がなんだか哀しくて愛しくて、いつになく優しそうに見えるから、あたしは何故だか泣きたくなってしまう。
(好きだったの?)
その一言が訊けない。訊いてはいけない気がする。それはあたしが踏み入っちゃいけない、前鬼だけの大切なモノなんだ。
でも知りたい。だたの好奇心か、それとももっと別のものか、今はまだ判らないけど。
ねえ前鬼。あたしは結構口堅いんだよ。教えてもらった秘密は誰にも言わないの。後鬼に訊いてもいいけど、あたしは前鬼からその秘密が欲しい。
もしも教えてくれたなら、一生口を噤んだままお墓まで持っていって、空に昇っても手放さないって誓うから。
逸聞