オマケだよ。
 余り物だからとこっそり手渡されたのは一本のリボン。滑らかな感触が肌に優しく、光沢のある深い蒼に染められたそれ。

(……一本だけど、喜んでくれるかな)

 

 真っ先に思い浮かんだのは、一人の少女だった。

 

 

 

 

 

プレゼントをあなたに

 

 

 

 小明は年頃の少女に相応しくオシャレ好きである。私服から、肌や髪の手入れはもちろんのこと、妖魔たちと対峙するときの仕事服も自ら作り、定期的にその意匠を変えている。小鬼などは術者としての自覚が足りていないと眉を顰めることもあるようだが(そしてそれは事実だろう)、後鬼丸には微笑ましく映った。
 彼女が女の子らしくオシャレに熱中できるのは世界が平和である証明だ。平和を脅かす妖魔が出没すれば、小明とて術者の端くれ、前鬼や後鬼を伴って駆けつけるだろう。激しい戦闘ともなれば白い肌は傷だらけ、髪は振り乱されて、手作りの服さえボロボロになってしまう。だから脅威となる妖魔のいない時くらい、度が過ぎない程度に羽を伸ばしてもいいのではないだろうか。後鬼丸から見れば、小明は概ね真面目に修行に取り組んでいるようだったし、そんなにハメを外しているようでもなかった。
「ただいま戻りました」
「どけ後鬼ッ!」
「わっ!?」
 戸を閉めようとした途端、突然頭上から怒声が降って後鬼丸は反射的に仰け反った。その上を、赤い影が軽々飛び越えていく。
「ちょッ……、こら待ちなさいよ前鬼――――ッ!!」
 どたどたと荒々しい足音をさせながら小明が怒鳴った。常なら綺麗に整えられている髪は、どうしたことか無残に乱れている。折角のリボンがほどけてしまっていた。
「へへッ、だァれが待つかようつけがッ」
 嘲るように、前鬼は戸の外からべえと舌を出す。そのまま口を開いた小明が次の罵声を吐き出す前に、ひょいっと飛び上がって視界から消えた。
「もお最悪ッ! 馬鹿前鬼、絶対夕飯抜きにしてやるんだから!」
 怒りの矛先を向ける対象を取り逃がしてしまった小明は、苛立ちもあらわに地団駄を踏んだ。二人のやり取りを呆然と見守っていた後鬼丸は、そこでようやく声をかける。
「……小明さん、どうかしたんですか?」
「あ、後鬼丸くんおかえり」
 小明が言った。さすがに無関係の後鬼丸にまで八つ当たる気はないらしい。けれど怒りはそう簡単に収まるものではないようで、ぷうっと頬を膨らませる。
「前鬼ったらあたしの髪ぐしゃぐしゃにしたのよ。髪は女の命なのに!」
「はあ、どうしてまたそんなことを」
「知らない! こっちが訊きたいくらいよ」
 ぷいっと顔を背けて今へ戻っている彼女の後に続きながら、後鬼丸はやれやれとため息を吐いた。あの赤鬼、構ってほしいのは解るが、何かもっと他にやり方はないのだろうか。そんな現代の小学生すらやらないような好きな子イジメをするなんて、一体いくつだあの子供。少なくとも、史上最強の名を冠する鬼神がするようなことではない。しかもからかうだけでは飽き足らず、主の髪にまで手を出すとは――――
 そこまで思って、後鬼丸はポケットの中に入れたままのものを思い出す。
「あ、あの」
「ん、なあに?」
 乱れた髪を手櫛で梳きつつ小明が振り返る。後鬼丸は丁寧に畳んだそれをズボンのポケットから引っ張り出した。
「おつかいの帰りに、綺麗なリボンをもらったんです。小明さんにどうかと思って。……一本しかないんですけど」
「わ、ホント。キレー……」
 手に取った小明が感嘆の声を上げる。気に入ってもらえたらしいことに安堵して頬が緩んだ。
「それであの、もしよかったら、ボクが小明さんの髪につけてもいいですか?」
「後鬼丸くんが?」
 きょとんと問い返され、思わず俯く。少し調子に乗ってしまった、差し出がましかっただろうかと、不安が胸を渦巻いた。
「う〜ん、じゃあお願いできるかな」
「え、いいんですか?」
 自分で言い出したくせに、まるでおつかいを頼むような主の気軽な口調に逆に戸惑いを覚える。髪は女の命だと、彼女はついさっき自分で言わなかったか。
「ちょっと待ってて、櫛持ってくる」
(わ、わ、わっ……!)
 小明と廊下で別れ、一人居間に座った後鬼丸は顔を赤くさせた。山奥育ちの後鬼丸は母親以外の女性と関わったことが殆どない。人見知りが激しかった上、一族直系の子息だ。村の女はおろか男さえも、彼に気軽に触れようとはしなかった。後鬼でさえ、妻だった女性以外の髪に触れたことがない。何だかんだ言いつつ後鬼丸も、思春期真っ只中の男の子なのである。

 

 

「お待たせ、お願いね」
 笑顔で櫛を手渡し、小明は後鬼丸の前に腰を下ろした。
「そ、それでは失礼します」
 やや緊張気味の面持ちで、後鬼丸は櫛を小明の髪に差し入れる。そっと優しく、ゆっくり繊細に。絡まっても決して無理に引っ張ってはいけない。ふわりと仄かに香るのは、彼女のシャンプーのにおいだろうか。
「気持ちいー……」
「そうですか?」
 顔を見なくても彼女が微笑んでいることが判り、知らずに後鬼丸の頬も緩む。
「うん。誰かに髪梳いてもらったの久し振りだなー」
「ボク、誰かの髪を梳くのは初めてです」
「次期頭領サマだもんねー。なんかあたし、かなり偉そうじゃない?」
「偉くていいんですよ。小明さんはボクらのマスターなんですから」
 マスター。自らが仕え、跪くべき存在。
 前鬼とは違い、後鬼には何の呪縛もない。離れようと思えば離れられるのだ。何処へでも好きな場所に行ける。たとえ邪な妖魔から人間を守り、世界の平和を保つという使命があろうとも、傍にいる必要はあまりないのだ。鬼神は元々群れない存在。共同線を張ったとしてもそれは一時的なもので、いつまた敵に回るか知れない。それが鬼神の本性だ。それでも数百年前と変わらず主の傍にいるのはきっと、彼女たちと過ごす時間を気に入っているから。鬼神であろうが人間であろうが態度を変えない彼女が好きだ。彼女となら、主従を越えたもっと温かな関係を築いていける気がする。――――仲間、という。
「リボンが一本しかないので、一つ結びにしていいですか?」
「ポニーテールっていうのよ、後鬼丸くん」
「ポニーテールでいいですか?」
「うん、そうしちゃって」
「了解しました」
 一通り梳き終えまとまりのよくなった髪を高く結い上げる。雑貨屋でもらったリボンは少々長いもので、ヘアアレンジの技術を持たない後鬼丸でさえ、少々趣向を凝らせばなかなか豪華に仕上がった。
「はい、できましたよ。……自分では、綺麗に出来たと思うんですけど」
「ありがと。早く鏡で見たいな」
 小明はリボンの端を摘まみ、飾りつけの部分にそっと触れる。自分が手をかけた場所に彼女の手が触れるのは、何故か堪らなく気恥ずかしい。
「みんなに見せに行ってこなきゃ!」
 機嫌よく身を翻した小明に合わせて結われた髪が踊る。ぴょんぴょん跳ねるそれは彼女の性格をそのまま表しているようだ。
 前鬼の行いに頭を抱えるのはいつものこと。けれど後鬼丸は、今回ばかりは彼に感謝を述べたい気分でいっぱいだった。

 

 

 

 この後、上機嫌の小明が「後鬼丸くんにやってもらったの」と言い回り、彼らから「似合う」「可愛い」などの賛辞をもらいますます機嫌を上昇させていったこと。
 少々遅れてそれを知った前鬼に、夕食(前鬼の夕飯は、機嫌を直した小明によって当然のように与えられた)の最中ずっと後鬼丸が射殺さんばかりの目付きで睨まれていたこと。
 そしてその翌日、いつものツインテールに戻った小明の頭に、青と赤、二色のリボンが揺れていたことは、また別の話である。