「もう決めた。おれはあんたに仕えよう」
彼が何を見てこの身に仕えようと決めてくれたのかは、まだ解らない。けれど。
「おれの主君であることができますか?」
ああ私はこのひとに拾われたのだ、と思った。
終わり過ぎて、始まり遠く
「ん……、」
蘭菊はぼんやりと目を開ける。背中に硬くごつごつした感触がある上、何やら体中が痛くて、身じろぎすることも億劫だ。
「気が付かれましたか、上様」
低く耳障りのいい声に目を向ける。はてこの人は誰だっただろう。
「そなたは、……」
靄がかかっていたような視界が、瞬きを繰り返すうちにはっきりしてくる。それと同時に意識も浮上し、気を失う前の出来事も思い出した。
「わ、私は今まで何を……、ッぅ!」
「おっと、まだ動いてはなりません。お体に障ります」
慌てて身を起こすものの、走った激痛のため再び傾いでしまった蘭菊の体を、睚は地面に倒れこむ前に受け止めて労わるように寝かせる。
「めなじろ様……」
「まなじりです。さ、これをお飲みください。傷に良く効く薬草です」
「あ、ありがとうございます」
蘭菊は睚の手を借りて濃い緑色の液体を啜った。ふと隅に置かれた自分の行李に気付き、驚いたように目を見開いた。
「あれは……」
大きな行李の横においてあるのは、無残にもボロボロに壊れた三体のからくり人形。あれらは確か狩又の城の外に捨ててきた筈だったのに。こんなガラクタと化した大きな人形を、持ち帰ってこれる人物など一人しかいない。
「余計なことと知りながら、そのまま捨ておくことが出来ませんでした。過ぎた真似をお許しください」
睚は頭を下げて跪く。
「いいえ……いいえ、ありがとうございます」
震える声で、ようやくそれだけを言う。涙が止まらなかった。
自分の娘の生皮を剥いでまで、人形を作り続けた父。人形にばかりかまけて、終ぞ家族のことなど顧みてくれなかった。家族より人形を案じた父が、あまりに恨めしくて悔しくて寂しくて。それ以上に、そこまで父を虜にした人形たちが憎らしかった。
――――復讐を。
――――人形たちに復讐を。
――――ご自分がお作りになられた人形たちが壊されるのを、父上はあの世で悔しがりながら見てらっしゃればいい。
この腕で父が息絶えた瞬間から、自分はきっとそう思っていたに違いあるまい。
「部品はそれで全部だと思うんですが、こんなにボロボロになっちまったら……」
「大丈夫だと思います。さすがに、すべて元通りというわけにはいかないでしょうが」
「そうですか」
「思えば私、武術の手解きは何も受けてませんし、身を守る術はこのからくり人形しかないのでした」
おかしな話だ。これまでこの身を守る唯一の手段だったのが、あれだけ憎んだ人形たちだったなんて。
(まるで父上が、私を守ってくれていたようだわ)
だってこれらの人形は父の手に依るもの。死して宿った父の魂が、今日まで一人生き残った娘を守っていてくれたのだと、信じてもいいだろうか。
『ははは、蘭菊は人形使いが上手だのう!』
覚えている。まだ幼かった自分。生皮を剥がされる前の。
膝に乗せて頭を撫でてくれた父も、父がいない時、心の慰めになってくれた人形たちも、自分はきっと、好きだった筈だから。
「上様の御身をお守りするのはそんなからくりではなく、このおれです」
むすりとした表情で睚が言った。ずっと年上の筈の彼がなんだか幼く見えて、蘭菊はぷっと吹き出してしまう。
頬を赤く染めた睚は、誤魔化すように咳をした。
「とにかく! 人形を直すのも何をするのも、お体の傷が完全に塞がってからになさってください。それまでは絶対安静ですよ」
「そういえば、これからどうしましょう。討ち入った後のことなど考えてもみませんでした」
「まあ、そう慌てて決めることもないでしょう。どのみち、お体の傷が完治するまでは何処にも行けませぬ。気侭にあちこちを歩いてみて、気に入った土地に腰を下ろすのもいいし、また気が向いたら、何処へなりと旅に出るのもいい。何にせよ、おれは上様についていくだけです」
「むなじれ様……」
「まなじりだっつーの! 晩飯までまだ時間がありますから、もう一眠りしててください。出来上がったら、起こしてさしあげますよ」
ぶっきらぼうな物言いだが、目を閉じさせる掌は驚くほど優しい。
「はい……おやすみなさい」
彼が何を見てこの身に仕えようと決めてくれたのかは、まだ解らない。同情か憐憫か、或いはもっと別のものか。けれどそんなことはどうだっていい。
内にあるどす黒い感情に操られるまま息絶える筈だったこの身に新たな命を吹き込んでくれたのは、紛れもなく彼だったから。
(目が覚めたら、今度こそ、名をちゃんと呼べるようにならなくては)
名前をいつまでも間違えるなんて失礼の極みだ。たとえ主従の関係であろうとも、許される筈はない。
(ま、まなじれ、めなじ、り、まなじら、むなじり、まなじろ、まなじる、めなじる、…………あらら?)
だが、繰り返し唱えれば唱えるほど、本来の呼び名とはかけ離れていってしまう気がする。こんなことではいつまでたっても怒鳴られてしまうと思っても、訪れた睡魔には抗えず、蘭菊はとうとう意識を手放した。
目を覚ました彼女が睚の名をきちんと呼べたかは――――二人のみぞ知る。