「……生きてっか銀次ー」
「う、うん、……な、なんとかー……」
 息も絶え絶えに出来る限り声のトーンを落として会話をする。全速力で走った後、意識して小声を出すことは結構苦しいのだ。
「蛮ちゃん、荷物持つの変わろっか?」
「バカ言ってんじゃねえよ、そんなボロボロで。第一、テメエに依頼品持たせて無事に持ち帰れた例がねえ」
 そう言う蛮も大概にボロボロであったが、依頼品奪還の成功例に関しては思い当たることが多すぎて銀次は言い返す言葉もない。
「うー、聞いてないよう、あんなヤバそうな人たちがかかわってるなんて」
「まったくだ。これだからヘヴンの持ってくる仕事は請けたくねえんだよ。面倒事は全部俺たちに押し付けて、自分はタンマリ仲介料天引くつもりだぜあのアマ」
 蛮の愚痴は留まるところを知らなかった。それならば引き受けなければいいのだが、彼らにはこれからの生活という最優先にして最重要事項がかかっている。仕事の選り好みをしている余裕はない。
「……蛮ちゃん、俺お腹空いちゃった」
「うるせえな俺だって空いてんだよ。仕事終わったら何か食わしてやっから我慢しろ」
 タレる銀次に苛々と蛮が言った。パッと銀次の顔が明るく輝く。
「だったら俺、真っ先にホンキートンク行きたいなっ。最近マスターのコーヒーご無沙汰だし、夏実ちゃんにも会ってないし」
「あー……」
 そういえば、と蛮は時にウニ頭と称される頭をガシガシ掻いた。馴染みのマスターと看板娘が脳裡に浮かぶ。いろんな事情を察しながら何も言わず何も訊かず、借金の返済日を利子無しで伸ばし続けてくれているマスターと、汚く暗い裏の世界など知らず、やはり何も訊かないまま変わらずのほほんと笑ってくれる看板娘――ドアを押せば明るい声が聞こえて可愛い笑顔で出迎えてくれる彼女。最初こそちゃんとやっていけるのかと危惧していたコーヒーを淹れる腕は順調に上達し、気が付けば二年目も過ぎようとしている。時間が経つのは本当に早いものだ。
 蛮の口元は、知らず笑みを刻んでいる。
「……そーだな、顔見せに行ってやっか」

「いたか?」
「分かれるぞ」
「こっちで声が聞こえたぞ」

「げげっ」
 存外近くで聞こえた声に、二人の顔色が変わった。息はとうに整えられていたが、出来ることならもう少し休みたかったのに。
「ばば蛮ちゃ〜ん、バレちゃったっぽいよ〜」
 慌てる銀次に蛮は舌打ちをする。
「チィ! 走んぞ銀次! 足音立てんなよっ……」
「わっわわわっ」

 

 がらがらどっしゃーんっ!!

 

 耳を劈くようなけたたましい音が辺りに響き渡った。銀次が何かを足に引っ掛けて倒してしまったらしい。つうっと、嫌な汗が二人の顔を伝った。

「いたぞあっちだ!!」
「追え、逃がすな!!」

「言ってる傍からテメエはあああああ!!」
「うわああああんごめんなさいいいいっ!!」
 お約束な展開に、涙だって零れもする。
「ちっくしょう! モーニングコーヒーが俺を待ってんだっっ!!」
「俺のサンドイッチ〜!!」
 増えているらしい追っ手の気配を背にヒシヒシと感じながら、二人は死ぬ気で走り続ける。とにかく振り切るかまくかしてしまわなければ、馴染みの店に顔を出すことすらままならない。

 

「「いッ……あああああああああああああああ!!」」

 

 とりあえず朝日が昇る頃には、歩いて帰れることを祈りつつ。

 

 

ホッとモーニングコーヒー