「お帰りなさいませ、士度さま」
「ああ」
 廊下で出会ったメイドに頭を下げられ、士度は軽く片手を上げた。マドカの家に転がり込んでから随分経つが、未だにこの出迎えには慣れない。
「お嬢様はお庭にいらっしゃいます」
 何も言わないうちに告げられた。
「……解った」
 そんなに露骨だったかと舌を巻きつつ、けれど深夜でない限り仕事から帰った士度が真っ先に尋ねるのはマドカの居場所で、彼女の言葉は何も特別ものではない。
 駆け足にならないよう意識しながら、士度は庭へ足を向けた。

 

***

 

「士度さん、おかえりなさい」
 ティータイムの用意をしていたマドカが顔を上げて微笑む。ふと一瞬仕事の疲れも忘れて頬を緩ませた士度は、けれど次の瞬間には目を見開いて口許を引き攣らせた。
「おう、遅かったじゃねえか士度」
「久し振りね、士度」
 芝生の上に敷かれたシートにどっかりと、或いはちょこんと座っている彼ら。マドカに手渡されたカップを片手にひらひらと手を振っている。我に返った士度は、慌てて三人の許へと駆け寄った。何となく違和感を抱いたが、何に対してかは判らない。
「劉邦!? 薫流!? なんでオメーらがここに!?」
「や、薫流が来たいって言い出したからよ」
「……あのな」
 薫流にはとことん甘かったりする劉邦に、士度は脱力を禁じえなかった。この男、尊大な態度ばかりが目に付くのだが、実はなかなか面倒見がいいのだ。眠りの嫡羅を扱うせいか否か、よく村の幼い子供たちの面倒を見て(見させられて?)いたことを覚えている。今回とて「いきなり行ったら向こうの迷惑になるだろー」とか言いつつ、ちゃっちゃと出かける仕度を整えたに違いない。
「来るなら来るで、連絡くらい寄越せよな」
 ましてやここは士度の家ではないのだ。突然訪ねて来られても応対しかねることもあるし、何よりマドカたちに迷惑がかかる。わざわざ会いに出向いてくれたことは嬉しいが、アポイトメントもなしにというのはいただけなかった。
「悪ィ悪ィ」
 笑いながら言っているせいか、彼に反省の色は見えない。その隣で、薫流はこくこく頷きつつ紅茶を啜っている。そこで士度はようやく違和感の正体に気付いた。いつも薫流の頭にかぶさっているウサギの帽子が、何故かマドカのそこにあったのだ。
「その帽子は……」
「あ、はい。薫流さんが貸してくださって……」
 マドカは恥ずかしそうに頬を染める。帽子のふちに両手を添えてはにかむ彼女は、文句なしに愛らしかった。
「珍しいな、お前が他人に帽子貸すなんてよ」
「可愛いでしょ」
 微妙にズレた返答だが、気にしたふうもなく薫流が言う。帽子のことか、それともそれをかぶったマドカのことかは微妙に判断がつきかねたが、聞き返すことも肯定することも気恥ずかしかったので、士度は曖昧に流すことにした。
「ところで」
 劉邦は軽く咳払いをすると、声を潜める。男たちを気にすることなく、少女たちは飲んでいる紅茶やハーブなどの話に花を咲かせていた。士度と同じく外国産の植物にあまり造詣の深くない薫流は、興味深そうにマドカの話を聞いている。
「あの嬢ちゃん、誰にでも人の顔に手ェ伸ばしたりすんのか?」
「……あー」
 すぐに思い当たり、士度は頭を掻いた。どうやら彼らもやられたらしい。  断っておけば、マドカは誰彼構わず無防備に他人の顔に触れるようとするわけではないのだ。彼女なりに「こいつは大丈夫だ」と思う基準はあるらしいが、傍で見ているだけの士度からは窺い知れない。ともすれば無礼と映り反感を買いかねない行為だが、マドカの場合、多少驚かれはするものの、「挨拶代わりのスキンシップ」として取られることが多いようだった。
「ま、いいさ。ただ無防備すぎんのは考えもんだからな、変なヤツに掻っ攫われねえよう気を付けろよ。危ねえのは鬼里人どもだけじゃねえんだからよ」
「…………解ってる」
 士度は渋面になった。バイオリニストとして有名な彼女には、思ったよりも危険が多い。何かを勘違いした男性ファンだったり、悪戯に国民の知る権利やら報道の自由やらを振り翳すマスコミだったりと、それぞれ目的は別にしても、マドカを狙う輩は決して少なくはないのだ。
 けれど守ると決めた。手放したりなどしないと。ならは己がすべきことはただ一つ。
「……うん、これ、美味しいわ」
「お口に合ってよかったです。お代わりいかがですか?」
「ちょうだい」
「はい、遠慮なくどうぞ」
 可愛らしい少女が並んでいる光景は、なんとも微笑ましかった。士度と劉邦は知らず目を細める。
「……まあ、なんだな。せいぜい死なない程度に頑張れよ。お前に何か遭った時に一番悲しむのは、あの嬢ちゃんなんだから」
「解ってるさ。他の奴らにも散々言われたんだ、努力はする」
 もうしない、とは言えない。ギリギリの選択を迫られた時に選ぶのは、やはり同じものなのだろうから。
 劉邦はやれやれと肩を竦めた。これがあの、いつも動物しか寄せ付けず一人で拗ねた目をしていた子供と同一人物だと思うと妙な感慨を覚える。良い相手に出逢ったものだと思った。温かいものに触れた感想はどうだと訊きたかったが、そんなもの、表情を見れば解ってしまう。無言で惚気られた気分だと、小さく笑った。
 劉邦は再び咳払いをする。気付いた士度が顔を上げた。
「で」
「ん?」
「式はいつなんだ?」
 邪気も悪意もない一言。
 不意打ち以外の何物でもないそれに、士度は折角の紅茶を盛大に吹き出したのだった。

 

 

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