ばいばい。
唇は動いたけど、声は出なかった。
声の代わりに、涙ばかりが滴り落ちる。
こうして口は閉ざされた
「……行こうか、レム」
「ウリックぅ」
未だひんひん泣き続けるレムを伴って、ボクらはアドビスから逃げるように出立した。
王様は、ボクを責めなかった。自分勝手な復讐に息子を巻き込んで、挙句の果てに死なせ、その亡骸さえ持って帰って来られなかったボクを。唯一持ち帰れた手帳を手渡すと、ただどこまでも悲しい目をして、そうかとポツリと呟いただけだった。そして労いの言葉までかけてくれた。ボクにそんな資格、ありはしないのに。いっそのこと、思い切り怒ってくれればよかったのに。決してその若くない顔には、悲しみのような疲れのような、或いはそれらがないまぜになったような色が浮かんでいた。
王様は一晩泊まっていくといいと言ってくれたけど、その言葉に甘えるわけにはいかなかった。何よりここにはシオンの気配が宿りすぎている。そんなトコロにいたって、悲しくなるだけだ。
「……ねぇ、ウリック。これから私、なんて呼んだらいーカナ。やっぱりイリア?」
パチパチと燃える焚き木を囲んで、ボクとレムはいつも通りに夕食を広げた。――唯一違うのは、シオンがいないコト。あの、いつもボクを困らせていた、イジワルでワガママな声が聞こえないコト。
「……なんて、呼びたい?」
うっすら笑って、レムに訊き返す。質問を質問で返すのは卑怯だったかもしれない。
「え?」
案の定、レムはポカンとした顔でボクを見た。
「レムが呼びたいように呼んでよ」
「…………、」
レムの口もとが、何か言いたそうにわなないた。ボクには解る。きっと、ボクの名前を呼ぼうとしたんだ。……でもゴメン。『イリア』は、シオンのための名前なんだ。
ディアボロスを倒して仇を討てたら、また二人で旅をしよう。シオンはそう言った。その時はウリックじゃなくてイリア( に戻れ、って。
でもその約束は果たされなかった。ディアボロスは氷づけにされてて、イールズオーヴァなんてワケの判らないオジサンがいて、シオンは死んで、ボクとレムだけが残された。ボクはもう二度と、『イリア』を名乗ることはないと思う。けど次の町へ行ったら、姿だけは女に戻る約束をレムとした。だから『ウリック』でもいられない。元々、男になったのは兄さんの仇を討つためだったし。
でもボクはあの場所で、結局何が出来ただろう。ディアボロスはもう既に誰かに氷づけにされてたし、イールズオーブァをやっつけたのはシオンだ。ボクは最後まで、役立たずな足手まといだった。
「……ぁ……」
レムの小さな声で、ボクはようやく自分が泣いているコトに気が付いた。おかしいナ、涙はもうウンザリするくらいに出たのに。飽きてしまうくらい泣いたのに。
「う、うう、うっ……」
レムはボクの頭を撫でながら、また泣き出した。ボクも泣く。やがて二人で抱き合いながら、わんわんと大声で泣いた。今が夜で、ここが森の中だというコトをこれ以上ないくらいに感謝する。
足りない。まだ足りない。これっぽっちの涙じゃ、シオンのいない喪失感は埋められない。
ゴメン。巻き込んでしまってゴメン。何もできなくて、助けてあげられなくてゴメン。なのにボクだけが生き残ってしまってゴメンなさい。ボクなんか、死んだって悲しむ人は誰もいないのに。何度謝っても足りないくらいだけど、でもこんな言葉しか思いつかない。
多分シオンが生き返るなら、ボクは何だってやった。それこそ、友達だった魔物と戦うコトだって。
戻ってきて。どんなワガママだって許してあげる。料理だって練習するよ。そういえば、キミは最後までおいしいって言ってくれなかったね。絵本以外は読んだことないけど、勉強もする。……そんなコト言ったら、絶対ムリだって笑われるかな。
頭がシオンとの会話の呼吸の取り方を強く覚えていて、意識しなくても、次に言いそうな言葉が頭に浮かぶ。……そんなコトをしても虚しいだけだって、知ってるのに。
唇からは、意味のない嗚咽だけが漏れる。本当に言いたい言葉はそれじゃないのに、声にならない。
願い事は叶わない。約束は果たされない。待ち人は還らない。ボクは泣きながら蹲ったまま動けない。結局、兄さんの仇討ちを決めた頃の自分に戻ってしまった。
シオンは、シオンなら、こんな情けないボクを見てどう思うだろう。呆れるかな、怒るかな。軽蔑されてしまうかな。それとも。……笑って、くれるだろうか。たまに、大した意味もない歌を歌っていたあの軽快な声で。
もう一度あの声を聞けたら、ボクはきっと何処へでも歩いていける気がした。でもあまりに恋しくて、聞いた途端にもっと動けなくなってしまうかもしれない。
「……し、おん……ッ」
途切れ途切れに名前を呼んでも、こんな掠れた声では彼のいる場所まで届く筈ない。そう思ったら、もっと泣けてきた。
知らないコトも知りたいコトも、これから生きていく上で起こりうるコトすべて。
それらを、シオンと一緒に見付けていきたかった。
英雄詩( に残るような、偉大で崇高な大冒険じゃなくていい。世界のおいしいもの食べ歩きツアーだって構わない。
キミさえ傍にいてくれれば、たとえどんなに下らないコトだって、ボクにとっては何よりも素晴らしいモノに変わるのに。