ふっと目を向けた先に、おひいさんがふらふら階段を上っていくのが見えた。
なんだか今にも足を踏み外しそうな足取りだ。俺は小さく息を吐く。
おひいさんが自分のことをどう思ってるのかは知らないけど、俺からはすっごく危なっかしく見える。なんて言うんだろう、地に足がついていないっていうか。うん、そんな感じだ。風が吹いたら、そのまま流されていちゃいそうな。
最初見た時、なんでこんな奴がここにいるんだろうって思った。だって、なんか似合わなそうに見えたから。
知章たちみたいに中心で何かを動かしていくんじゃなくて、そこから離れた場所で皆が騒いでいるのをただ見てるだけっていうか、どうあっても当事者っていうよりは傍観者って感じ。だから俺は、ああこいつお姫様だって思ったんだ。
それからおひいさん――もとい、上田という存在は、なんとなくいっつも俺の意識の隅にあるみたいで、なんでかよく視界に入ってくる。別に俺が意識して入れてるつもりは全然ないんだけど。
「何やってんの、おひいさん」
俺が声をかけると、おひいさんはビクッと肩を震わせて勢いよくこっちを振り返った。
「江藤くん……。なあに、もう。びっくりさせないでよ」
「だっておひいさん、ふらふら歩いてるんだもん。放っておいたら、階段から落ちそうだったぜ」
おひいさんはムッと眉を顰めて、はあと息を吐いた。俺はただ声をかけただけなのに、なんでそんな顔するんだろう。
「余計なお世話よ。それに、私はそんなにぼーっとしてません」
「してたよ。心ここに在らずって顔だったくせにさ」
「江藤くんは私の後ろから歩いてきたじゃない。それなのに、私の顔が判るわけないでしょう」
「いーや、判るね。そーゆう顔してそうな歩き方だった」
俺が言い切ると、おひいさんは口を噤んでまた奇妙な顔になった。そして今度は何も言わずに歩き出す。
なんとなくその後を追った。別に行くアテがあったわけじゃなかったし、それにホラ、本当に階段から落ちられたら目覚め悪いし。
「なんでついてくるの」
おひいさんはちらっと横目で俺を見た。おひいさまのくせに。
「俺もこっちに用があるんだよ」
「この先、屋上よ」
「それくらい知ってらい。用があるのは屋上なんだから」
嘘だ。でも、これから屋上で昼寝っていうのもいいかもしれない。一回やってみたかったんだよな。
「おひいさんこそ、屋上になんの用があるわけ?」
「江藤くんには関係ないもん」
ぷいっと顔を背けられた。へえへえ、つれないお言葉で。
それきり会話は途切れて、俺はこっそりおひいさんを盗み見た。
何を考えて、何を見ているのかなんて、そこからは全然わからないけれど。
意識してるのかは置いとくとして、興味があるってういうのは否定しない。……そう、俺は興味があるんだ。多分。きっと。恐らくは。おひいさんが見ているもの――その周りを取り巻いてる世界に。延いては、上田ひろみという人間そのものに。
予感が、した。
俺はきっと遠くないそのうち、おひいさんに古文を教わるんだろうな。今はまだそのつもりはないけれど、いつか。
うん、教わってみよう。まずはそこからだ。焦ることなんて一つもない。そりゃあ、なんか競争率は高そうだけど。けど、一緒にいる理由なんか、これからいくらでも考えられるから。
はじめの一歩