「やめろハル、危ないっ!!」
 綱吉が叫んだ意味を理解するよりも早く、ドッカーンという爆発音が鼓膜を揺さ振った。それとほぼ同時に痛くはないけれど強い衝撃を体に受ける。
 ハルの意識は暗転した。

 

 

 

 

 

すべての道は未来へ通ず

 

 

 

 事の起こりはハル自身もよく解っていない。愛する未来の旦那様(綱吉)の自宅に上がり込むのはいつものことだったし、何故か常にそこに居座っているアウトロー(獄寺)と挨拶代わりの啀み合うことだって、それこそ日常茶飯事だ。室内といわず屋外といわずを元気よく駆け回る子供たちの愛らしさも。
(ああ、そうですランボちゃん……)
 目を開けているのか閉じているのかさえ定かではない意識の中で、ハルはぼんやりと思い出す。
 そう。ハルにとっての日常と唯一違うところがあるとしたら、それは何故かランボの頭(髪)から盛大にはみ出ていた、筒状の大きな得体の知れない物体の存在である。
『何でしょう、これ?』
 ゴミか何かかと思い(そこで危険物かもしれないという可能性に気付かないのが彼女だ)、ハルはそれに手を伸ばす。気付いた綱吉が顔色を変えて叫んだ時には既に遅く。
『……!? やめろハル、危ないっ!!』
『はひ?』
 そこでハルの指が筒でなく引き金に引っかかった辺り、何かもう仕組まれていたとしか思えないが、ともかく。
(お父さん、お母さん、ハルは親不孝な娘です。今日まで立派に育ててもらってきたというのに、その恩の欠片すら返せないまま先立つ不幸をお許しください……)
 一寸先は闇。先人の言葉の正しさを、ハルは涙を呑んで噛み締める。
 と、その時であった。
「ハル!? おいハル、大丈夫か!?」
 酷く焦ったような声に覚醒を促される。低く耳障りのいい男の声だ。聞き覚えのない筈のそれを、けれどハルは直感的に綱吉と連想した。
(ツナさん……? ああ、ハルを心配してくれてるんですね。なんて優しいんでしょう。やっぱりツナさんは素敵です……)
 その声に導かれるように目を開ける。何度か瞬きをしてようやくクリアになった視界に、気遣わしげな表情の綱吉と獄寺が飛び込んできた。けれどランボの姿が見えない。ランボちゃんは? と口を開きかけたとき、ハルは唐突に、意識を失う前と気が着いた後との部屋の内装が変わっていることに気付いた。
「ほえっ!? こ、ここは何処ですか!? あれれれ、ハルはさっきまでツナさんのお部屋に……?」
 広い部屋。見慣れた勉強机やベッド、参考書よりマンガが幅を利かせている本棚もない。そもそも日本の一般家庭にはあり得ないほど内装が豪華である。目の前にあるテーブルも、その上に乗っているコーヒーカップや茶菓子を入れた皿、いつの間にか腰掛けていたイスも、華美ではないが高価な物と見て間違いなさそうだ。どれだけ記憶を巡らせても、沢田家の間取りに当て嵌まらなかった。
「……十代目」
「あーうん、そういえばそんなこともあったよね……」
 獄寺と綱吉は顔を見合わせてため息を吐いている。そんな二人を不思議そうに見詰めていたハルだったが、見慣れた彼らとの違いようやく気付いて目を丸くした。こてんと首を傾げる。
「不思議です。ツナさんも獄寺さんもいつもよりずっと大人っぽく見えます」
 顔立ちや髪型などは殆ど変わっていないものの、あまり変わらないか少し高かった程度の彼らの身長はぐんと伸びており、そういえばうんと上を向かなければ目を合わすことさえ出来ない。肩幅も広くなり、以前の彼らになかった逞しささえも感じる。
「それにお二人ともいつお着替えしたんですか? スーツマジックですか? それともイリュージョンですか?」
 真っ黒なスーツを身に纏った二人は、がっくりと脱力したようだった。
「気付くのが遅ェんだよアホめ」
「な」
「あー、ハル?」
 獄寺の悪態にハルが噛み付くより早く、綱吉が口を開く。
「いい、ハルは今夢を見てるんだ。五分だけの、ね」
 やんわりとした、けれど不思議と有無を言わせないその口調に、ハルも従わざるを得ない。怪訝そうに頷きつつ、獄寺への反論を諦めた。
「はあ、夢ですか」
「そう。だから深く考えないで、ちょっと俺たちに付き合ってよ」
「はひーっ!? つ、つつつ付き合う!? つまりは交際ですか!? ということは、ツナさんもとうとうハルの愛を受け入れてくれるってことですねっ!? それならちょっとと言わずこの三浦ハル、女の一生を懸けてお付き合いいたしますよ是非!!」
 ハルは大きく仰け反った。その目はキラキラ輝いて頬は赤く染まり、胸の前で両手を組んだ『乙女ポーズ』で早口に捲くし立てる。「俺『たち』」という複数形であったことは綺麗に聞き流したらしい。
「あーうん、この全力で明後日の方向へ突っ走る勘違いぶり。懐かしいなあホント」
「ふへ?」
「アホだって意味だよ」
「はひ、なんて失礼なこと言うんですか獄寺さんは!! ハルの夢なのに、どうして獄寺さんは相変わらずなんですか?」
「夢だって全部は思い通りにならないよ」
「むぅ、そんなものですかね」
「そんなものだって」
 ハルは不満そうに唇を尖らせていたが、やがて気を取り直したようにきり出した。
「ところで、この夢の時代背景はどんなものですか?」
「は?」
 きょとんと綱吉が目を丸くする。これを夢だと言ったのは彼だったが、こんな質問をされるとはよもや思っていなかったらしい。
「ハルは今までいろんな夢を見てきましたが、こんな、自分の役どころが判らない夢なんて初めてです。夢を見ているからには、与えられた役目になりきる責任があります。そうでしょう?」
 尤もらしくハルは主張した。口を開こうとする獄寺を片手で制し、綱吉は暫し考えるように唸る。
「そうだね、……じゃあ、十年後なんてどう?」
「十年後……ですか?」
「そう、十年後。俺はリボーンの思惑通りマフィアのボスになって、獄寺くんは俺の右腕。ハルは俺の秘書」
「十代目、」
 やや焦燥を感じさせる声音で獄寺が声をかけるが、綱吉はそれににこりと笑って見せた。獄寺は黙るしかない。
「十年後、ハルはツナさんの妻じゃないんですか?」
 そんなやり取りなどまるで気付かず、ハルは自分の不服を唱える。綱吉は苦笑した。
「残念ながらね」
「ハルの夢なのに、思い通りにならないのにもほどがあります」
 ぷくっと頬を膨らませる様は子供のそれだ。暫くそのままで拗ねていたが、やがて諦めたのか、口の中の空気をぷしゅっと吐き出す。
「……仕方ないですね、ハルは秘書で我慢します。ボスの妻には、現実でなってみせますから!」
 無駄に力強く宣言した。
「それで、ハルは何をすればいいんですか、ボス?」
「今日のハルの仕事は俺のお茶の相手だよ。『仕事の合間でも意識的にボスとコミュニケーションを図ることも、秘書の大切な仕事』だそうだから」
「なるほど。誰が言ったかは知りませんが、ハルもその通りだと思います」
 いただきますとハルは行儀よく手を合わせて、コーヒーカップに手を伸ばす。試しに一口、というように口に含む。その顔がパッと輝いた。
「おいしーです! さすがイタリアですね! ……あれ、ここイタリアですよね? あ、お菓子も食べていいですか?」
「そんなにがっつくなよ、誰も取らねーんだからもっと落ち着いて食べろ」
 ブラックコーヒーを啜りながら、獄寺が呆れたように言う。ハルは頬を赤らめた。
「が、がっついてなんていません!!」
「ハル」
 綱吉が呼ぶ。その凪いだ視線にどこか縋るようなものを見たと思ったのは、ハルの気のせいだったのか。
「ハルにとって、十年前の俺はどんな奴かな」
「大好きです」
 即答だった。それはどういう意味なのか、彼がどんな意図で問うたのか、よく考え呑み込む前に、それは口をついて出た。
「優しいところが好きです。照れ屋さんなところが可愛いと思います。お友達思いなところも素敵です」
 綱吉を真正面から見詰めて、ハルは言い募る。羞恥なんて感じない。だってこの想いは恥ずかしいものなんかでは決してなかったから。意識せずとも背筋はピンと伸び、姿勢が正される。
 胸いっぱいに溢れる気持ちを、どうしたら最も正確に彼へ伝えられるだろう。大好きだと、愛していると、一日一度の告白だけでは追いつかないような、もどかしいこの気持ち。
「ハルはツナさんが好きです。出逢えたことをとても嬉しく思っています。ずっと一緒にいたいです」
 子供らしい真っ直ぐな一途さで言い切った。
 綱吉は背凭れに凭れ、深く息を吐いた。まるで、受け取った言葉の重さを量りかねているように、――どこか安堵しているように。
「……十代目、そろそろ」
 腕時計を見た獄寺が、遠慮がちに口を挟む。
「ああ、うん。もう時間か」
「はひ? あ、そういえば五分って……」
 ハルも我に返る。あまり話せなかったような気もするし、思ったより長かったようにも感じた。ただの夢にせよ、このまま覚めてしまうのは名残惜しい。
「ハル」
 と、綱吉。
「ありがとう」
 それは優しい笑みだった。長い間心に残していたしこりを、ようやく取り除いたというような清々しい笑み。思わぬ不意打ちを食らったハルは、ボッと顔を赤くしてその笑顔に見惚れた。
「おい、ハル」
 今度は獄寺だ。ハッと我に返ると、飛んできた小さな物を慌てて受け取る。両の掌を開くと、小さな飴が一つコロリと転がった。
「獄寺さん?」
「餞別だ、持ってけ」
 ぶっきらぼうな物言い。ハルは一瞬大きく目を見開き、次いで笑った。
「ありがとうございます!」
 その言葉を最後に、ハルの意識は再び暗転する。

 

 

***

 

 

「は、ハル、ハル、大丈夫!?」
 何度も名前を呼ばれ、揺さ振られる。ハルは薄っすらと目を開けた。何度か瞬き、ようやく気が付く。
「ツナさん!」
「ぅおっ!? な、何だよ、びっくりするじゃんか」
 がばりと身を起こしたハルに、綱吉は仰け反った。構わず、ハルは彼に詰め寄って興奮気味に捲くし立てる。
「ハルはとても素敵な夢を見ましたよ。夢の中にツナさんが出てきたんです。オマケのようにに獄寺さんもいましたけど」
「んだとコラ、喧嘩売ってんのかテメー!!」
 オマケ扱いされた獄寺が怒鳴った。しかしうるさい外野の怒声など、今のハルの耳に入らない。
「夢の中のツナさんはとても大人っぽくてカッコよかったです」
「無視かよ!!」
「背も今よりずっと伸びていて、声も低くて素敵でした。マフィアの真っ黒なスーツもビシッと似合ってましたよ」
「へ、へー……」
 大体のことに察しの着いている綱吉は曖昧に返す。それはつまり、自分が将来マフィアになると宣言されたのも同じだ。いくら大人っぽかろうが、カッコよかろうが、行きつく先がマフィアであるのなら、褒められても嬉しくない。
「でも優しいところは相変わらずでした。とても紳士的で、ハルはますます惚れ直してしまいましたよ!」
「あ、そ、そう……」
 しかしハルのぺースは変わらない。
 何したんだ十年後の俺、まさかランボみたいに気障なやつになって……るわけないと思うんだけど! いやでも、だからってそんな……エンドレス。綱吉は激しく混乱している。
「あ、そうそう、獄寺さんにはお餞別に飴をもらいました。あんな機会は二度とないと思うので、これは三浦家の家宝の一つにしようと思います」
「なんでだよ! そんなもんさっさと食っちまえ!!」
 そんな妙なものにされては堪らないと、獄寺が叫ぶ。
「ところで、ツナさん」
「な、何?」
 興奮が落ち着いたのか、さっきとは打って変わったハルの穏やかな呼びかけに、綱吉はようやく我に返った。
 ハルはにこりと微笑む。それはもう、蕩けそうな笑顔で。

「大好きです」