「あー、やっと来たわよ寝ぼすけが」
 空腹のせいかそれともまだ眠気が残っているのか、ダレた様子で灯が呆れたように言った。
「おはようございますほたるさん。これから起こしに行こうと思ってたんですよ」
 にこりと微笑んだのはゆやである。袖は襷がけに捲り上げ、しゃもじを片手に持っていた。
「……なんで?」
「なんでかて、あんさんがいつまでも起きて来ィひんからや」
「あなた抜きで食べようかと、言っていたところですよ」
 待たせていたという自覚もないほたるに、紅虎とアキラが口々に言う。
「ふーん」
 基本的に周囲のことは眼中にないほたるは、一言の謝罪もないまま空いている席に適当に腰を下ろした。漢たちもそんな彼を解っているらしく、アキラが少し小言を零すくらいで何も言わない。
「それじゃあご飯よそっちゃいますね」
 ゆやは苦笑して、テキパキと茶碗に白飯をよそい始めた。まだ薄っすらと湯気が立ち昇る白飯はゆやから紅虎へ、紅虎は梵天丸に、梵天丸はサスケへ……とバケツリレーのように手から手へと回される。

 

「いらない」
「え?」
 ゆやが顔を上げる。ほたるに手渡される筈だった茶碗は、未だサスケの手にあった。ほたるが受け取りを拒否したせいである。
「なんでだよ」
「いらないから」
 ムッと眉を寄せるサスケを、ほたるは素っ気なく突き放す。さっきまで文句も言わず無心に茶碗を受け取っては回していたくせに、今は手を差し出そうともしない。
「もしかしてほたるさん、起きたばかりで食欲ないんですか? それとも、どこか具合でも……」
 心配そうに尋ねるゆやに、梵天丸はヒラヒラと手を振った。
「あーゆやちゃん、そいつはほっとけ。ほたるは他人からもらった飯は食わねえよ」
「えっ、そうだったんですか? じゃあ、それはサスケくんのね」
「……別にいいけど」
 変な奴とでも言いたそうな目をして、サスケは持っていた茶碗を自分の卓に置く。
「他人からもろたモンは食わんて……なんでや?」
「………………なんでだっけ?」
 はてと首を傾げるほたるに、紅虎はガクッと体勢を崩し、アキラはやれやれと肩を竦めてため息を吐いた。
「まったく。昔からこうなんです。ゆやさんが気に病む必要はないですよ」
「あ、はい……」
 白飯をよそいながら未だ気にしているらしいゆやに、アキラが言う。盲目のくせに、彼は聡い。

 

 ほたる以外の全員に白飯は行き渡ったことを確認して、鬼眼一行はようやく朝食にあり付けたのだった。

 

 

***

 

 

「ん〜、いい天気! 絶好の洗濯日和ねっ!」
 ゆやは伸びをすると、屈みこんで籠の中から洗濯物を引っ張り出した。その中には褌も混じっていたが、ゆやは臆することなく手に取ってはたく。幼い頃から兄を手伝い、家事の全般を担ってきた彼女にとって、漢の褌など手拭に等しい。最初こそアキラやサスケが過剰に拒絶していたが、自分で洗うことが面倒くさくなったのか何なのか、次第にゆやに任せきりになってしまっていた。
 一番大きな梵天丸の着物をなんとか無事に干し終え、空になった洗濯籠を手に、中へ入ろうと振り返る。と、いつの間にか縁側に座ってこちらを見ていたらしいほたると目が合ってしまう。
「どうかしたんですか、ほたるさん?」
「ん〜……」
 ぼんやりとしたその表情はまだ半分寝ているようだったが、これこそがいつもの彼であると、ゆやは知っていた。突っ立っていても仕方ないので、とりあえず近くに行ってみることにする。本当に用があるなら話しかけてくるだろうし、それでなくとも中へ入ろうと思っていたし。目の前まで近寄っても何を言われることもなく、用があって見ていたわけではなかったのだと、ゆやはそのまま草履を脱いで縁側に上がった。
 くんっと、袖を軽く引かれる。
「え……?」
「……えーと、…………あ、思い出した。優子ちゃん」
「違います。誰ですかそれ」
「知らない」
 ゆやはため息をついて肩を落とした。彼の思いもよらぬ発言には、今更ながらに度肝を抜かれる。何せ彼は紅虎やサスケの名前を知らなかった頃、双方に恐らくその場で思いついたのだろう「いとこのゆきおくんとたけしくん」なる名を付けて勝手に呼んだくらいだ。余程の即興モノだったらしく、本人たちからの強い否定もあり、定着はしなかったようだが。
 知らない誰かの名(案外、遊郭の女の名かもしれないが)で呼ばれたということは、彼はこちらの名を知らぬということだ。それにはゆやとて、少々ショックを受けた。きちんとした形で名乗っていなかったにせよ、同様である筈の他の仲間たちはちゃんと名前で呼んでいるのだから、知っていてもいいのではないか。特別親しいわけでもなかったが、会話を交わしたこともあるのだし、何ヶ月一緒に旅をしていると思っているのだろう。
 ゆやはもう一度ため息を吐くと、コホンと小さく咳払いをした。何にせよ、今までより親しくなれるいい機会かもしれない。仲間なのだし、親友とまではいかなくともそこそこには仲良くなりたい。他のみんなのように、家事や雑用の仕事を手伝ってくれるようになるかもしれないという密かな期待もあった。
「私は、椎名ゆやっていいます。ちゃんと覚えてくださいね、ほたるさん」
 幼い子供に言い聞かせるように、ゆっくりとハッキリ発音する。人によっては怒らせてしまうことにもなりかねないが、相手はほたるだ。
「しいなゆや」
「はい」
 教えられた音をただなぞらえているだけの舌足らずなそれに、ゆやは本当に幼い子供に教えているような気分になって頬を緩ませた。
 しいなゆや、しいなゆや、とほたるは口の中で転がすように繰り返す。こっくりと頷いた。
「うん、覚えた」