「まあったく、どいつもこいつも出費を増やしてくれちゃって……! 誰のお金だと思ってるのよ!?」
算盤の珠を弾きながら、ゆやは苛立たしげに呟いた。隣の部屋からは上機嫌な漢たちと遊郭の女たちのさざめくような声が聞こえて、それが彼女の機嫌をさらに降下させる。とっぷり日が暮れて暗くなった部屋には、手元が見える程度の明りがあるくらいだ。
「あーあ、また赤字だわ……。そろそろ本業復帰した方がいいわね」
新しい町に立ち寄るたびに番所へ足を向けてしまうのは、最早職業癖と言ってもいい。そのおかげで、ゆやの頭にはこの界隈を騒がせている賞金首たちの顔がしっかり記憶されていた。
「全員合わせても大した額じゃないけど……ないよりマシだもの」
「アンタの本業って何?」
「きゃあっ!?」
暗がりにぼんやり浮かび上がった漢の顔に、ゆやは目を見開いて悲鳴を上げる。しかしよく見れば、無表情のほたるが立っているだけだった。仲間の一人と知り、ゆやはほーっと胸を撫で下ろして漢の方へ向き直る。
「あ、ほたるさん……。もうっ! びっくりさせないでくださいよ〜」
「ん、ごめん。で、本業って何のこと?」
「言ってませんでしたっけ? 私、こう見えても賞金稼ぎだったんですよ。そりゃ、狂やほたるさんたちには敵いませんけど、賞金小町とも呼ばれてて、それなりに有名だったんですから」
「ふーん」
自分から訊いたくせに、ほたるは興味のなさそうな相槌を打った。
「それで、ほたるさんはどうしたんですか? 向こうの部屋でみんなと騒いでたんじゃ……」
そこまで言うとさっきまで感じていた怒りを思い出し、ゆやは顔を顰める。
「んー、何か飽きちゃったから寝に来た」
「何もここで寝なくても……」
過去四聖天として狂たちと旅をしていたほたるにとって、今更宴の騒がしさなど気にならない筈だ。それでなくとも、彼は周囲の環境に左右されることなく生きているように見える。
「うん。でも、アンタに膝枕してもらったほうがよく眠れる」
「えっ、またするんですか?」
「して」
表情を変えぬままねだる彼は、とてもではないが二十歳を過ぎた年上には見えない。これなら、年少の部類に入るアキラやサスケの方がまだ大人びているだろう。
「私、まだやることが残ってるんですけど」
「じゃあ待ってる」
さっさと諦めて戻ればいいのにとは思うが、強く拒否をする理由も思いつかなかった。
「私の膝枕は高いんですよ?」
「いくら?」
「十万両は下りませんね」
「じゃあツケといて」
「そーゆうことは、払うアテが見付かってから言ってください。っていうかそもそも、私がほたるさんに膝枕してあげちゃったら、今度は私が眠れないじゃないですか」
座りながらでも眠れないことはないが、翌朝には体の節々が痛くなること請け合いだ。高級なものではないとはいえ折角布団があるのだから、その上で寝たいと思うのは人情だろう。
ほたるは暫しぼんやりとした表情のまま何か考え事をしていたようだったが、ぽむと手を叩くと、
「じゃあ一緒に寝よ」
「嫌ですっ!!」
当然のことだが、即答である。
「大丈夫。狂みたいに変なことしないから」
「そ、そーゆう問題でもないんですが」
「じゃあどうしたら一緒に寝てくれんの?」
「……ほたるさんはどうして、私に一緒に寝てほしいんですか?」
「よく眠れたから。変な夢も見なかったし」
不毛に思える会話を続けながら、ほたるは段々苛立ってきた。元々気の長い漢ではない。「何となく」で行動することの多い彼は、いちいち理由を求められても困ってしまうのだ。
何を警戒しているのだろうこの女は。こちらは何もしないと言っているのだから、駄々を捏ねずさっさと折れて一緒に寝てくれればいいのに――――。
「ほたるさんが眠れないほどの夢って、どんな夢ですか?」
ほたるは今朝(昼近く)灯に話したことをそのままゆやに伝える。
(なんで俺、この女にベラベラ話してるんだろう)
別に隠すようなことでもないが、そうまでして目の前の女と共寝をしたがる自分が解らなくなった。拒否されたらさっさと諦めて遊郭の女にでも頼めばいい。その方が面倒なこともなくて、むしろ楽ではないのか。
(…………ううん、やっぱダメ)
男を悦ばせる術しか持たぬ遊郭の女たちでは役不足だ。
何故なら。
「だってあの歌知ってるの、アンタしかいない」
言ってから自分で驚いた。
(あれ? そんな話だったっけ?)
変な夢も見ずぐっすり眠れればそれでいいではないか。
第一、その唄を知っているということは、それをどこかで聴いたことがあるということだ。ゆやは兄から聴いたと言った。――ならば自分は? 父親ではあり得ない。幼い頃の自分に近付く者などいなかった筈だ。ならば一体何処で、誰から?
対するゆやはきょとんと目を瞬かせ、すぐに納得したような顔になった。
「ああ、あの子守唄。じゃあそれを歌ってあげたら、一人で眠れますか?」
「…………」
黙り込むほたるに目もとを緩ませる。
「一緒に寝てあげることはできませんけど、ほたるさんが眠ってしまうまで歌ってあげることはできますから。布団敷いてきますね」
「…………うん」
とうとうほたるがこくりと素直に頷く。優しく微笑んだ彼女に、誰かの面影が重なった気がした。