001:クレヨン

 

 

「あ」
 思わず声を上げたのは、この場所に不釣合いな、意外なものを見付けたゆえに。
「どーしたの、おひいさん」
 聞き咎めて夏郎が寄ってきた。最初は馬鹿にされている気がして良い感情の持てなかった呼び名も、今ではすっかり馴染んでしまっている。
「クレヨン。生徒会室にもあったんだね」
 振り返ったひろみの手には、懐かしいパッケージのクレヨンの箱が乗っていた。
「そりゃあるだろ。だって、ポスター書く時とかに使うし」
「合唱祭とか、辰高祭の時も使ったの?」
 全然知らなかった。
「ちょっとだけ」
「ふうん」
 ひろみは蓋を開け、十二色のそれを懐かしげに見詰める。鼻につく油っぽい臭いに、軽く顔を顰めた。
「懐かしいなあ。幼稚園……ううん、小学校の低学年以来かな」
 まだ幼稚園に通っていた頃にあった「お絵かきの時間」に、好きなものやなどを一心不乱にぐりぐり描いた覚えがある。
 あの絵はまだ残ってるかな、とぼんやり記憶を探った。もう一度見てみたいと思う反面、あったらあったで破り捨てたい気もする。
「おひいさんは、何色が好きだった?」
「なに、急に」
 クレヨンの箱を覗き込みながら尋ねてくる夏郎に、ひろみは面食らったように訊き返した。
「いや? クレヨン見てたらなんとなく。一番好きな色が一番先になくなるっていう歌、あったじゃん」
「あったねえ」
 小さな頃、よく観ていた教育番組を思い出して微笑む。出会ってもいなかった頃に同じ番組を観ていたということが、少し不思議だった。
「……何色だったかな。空とか花とかよく描いてたと思うけど。肌色とか、黒もよく使ってたかな」
「オレ、赤とか橙とかが好きだったんだ」
「ああ、判る判る」
 確かに夏郎には、青や緑のような寒色系よりも暖色系の赤や橙が似合うだろう。
「だって、赤ってヒーローの色じゃん。戦隊ものだって、赤が主役だろ?」
「なるほど」
 妙に納得してしまった。おそらく彼は小さい頃、「大きくなったらレッドになる!」とか言っていたクチだったのろう。
「うん、でもおひいさんはピンクっていうより青だよな、やっぱり」
「……そう?」
「うん」
 どう反応すればいいのか、少し迷って困った。
 ピンクといえば、可愛い女の子のイメージカラーのようなものだ。失礼なと憤慨すべきか。けれどひろみとて、別にピンクにこだわっているわけではないし、自分でもそんな柄ではないと思っている。っていうか、やっぱりって何だ。やっぱりって。
「だっておひいさんだもん」
「何それ」
「風鈴ぶら提げてる和室で、和服着て、涼しげな顔して古典とか読んでる感じ」
「……ケンカ売ってる?」
「ううん。なんで?」
 心持ち声を低くして問えば、きょとんと返される。どうやら悪気はないらしいけれど。
 彼の持っている「上田ひろみ」のイメージって何だろう、とひろみは少し悩んだ。
「江藤くんは主役のレッドっていうより、イエローっぽい気がするけどな」
「何だよそれ。俺、特別カレー好きでもないんだけど。大食らいでもないしさ」
 今度は夏郎が不満げに唇を軽く尖らせた。
 別にさっきの発言のお返し、というつもりではなかった。ただ、熱血で正義感溢れるレッドより、ひょうきんで、憎みきれないムードメーカーのイメージのあるイエローが、ふっと頭に浮かんだだけである。
「鳴海くんは何だろう? ブラック?」
「中村は……少なくとも、ピンクって柄じゃないよな」
「ドリちゃんこそレッドって感じだけどなあ」
 ヒーちゃんのためなら思いっきり闘えると言った彼女は、間違いなくひろみにとってのヒーローだった。
「そんなことない。あいつより、絶対俺の方がレッドだ」
 妙にこだわっているらしい夏郎に、ひろみは小さく吹き出した。もしかしたら、今でも正義の味方になりたいと思っているのかもしれない。
「じゃあ、カトケンは何だ? 残ってるのは緑くらいなもんだけど」
「加藤くんは……う〜ん……」
 ひろみは知っている限りの色を頭の中に並べた。真剣に思案することではないと解っていても、なんとなく考え込んでしまう。
「案外思いつかないもんだね、その人のイメージカラーって」
 降参、と軽く肩を竦ませながら言って、散らかしたクレヨンを一本一本仕舞っていく。それを見た夏郎は、
「えー、もう片付けちまうのかよ? 折角見付けたんだから、それでなんか書こうぜ」
「え?」
 思い立ったように周囲をがさがさと掻き回し、夏郎は、どこからか引っ張り出してきた画用紙を、ほいとひろみに手渡す。
「え、ちょ、ちょっと待ってよ。私、絵なんて上手くないよ」
 なにやら妙な方向へ進み始めた話に、ひろみは慌てた。誰かに見せられるような画力など持ち合わせていない。
「俺だって、絵心なんかないよ」
「そもそも何を描けって言うの?」
「なんでも。描きたいもの描けばいいじゃん」
 そう言って、夏郎はさっさと赤いクレヨンを手に画用紙に向かった。
 なんて勝手なとひろみは呆れと怒りを感じるが、今更だったと気が付いて黙る。それにしてもどうしてこんなことになったのかよく解らなかった。なのに何故、自分は彼に付き合おうとしているのだろう。
 お絵かきなんて何年振りだろう。とりあえず、間違っても彼に笑われないものが描けるといい。
 ひろみは観念したように青いクレヨンを持って、何を描こうかと思考を巡らせた。