044:バレンタイン

 

 

「……こんなトコにいた」
「おう秀ボー。相変わらずおモテになるこって」
 心なしか顔色の悪い秀一に、葵はからかうように言った。こうなることを予期して用意しておいた紙袋をぶち破りそうなチョコを抱え、秀一は苦笑してその隣に腰を下ろす。葵の傍らに山済みになっているチョコを見て顔を顰めるが、かといって即行で立ち去るほどの余力はないようだ。そうでなくとも今日はバレンタインデー。去年の横暴な理事長兼生徒会長の取り決めが撤回されたせいか、今年は例年より渡す数も貰う数も増えていた。
「過去最高記録更新したんじゃねえ?」
 指についたココアパウダーを舐め取りながら葵が言う。秀一はこの一日の間でげっそりとやつれているようだった。
「気持ちだけ、受け取りたかったんだけどね……」
 知っている者は少なく、言えば意外に思われるのだが、食べられるものなら何でも食べる葵とは違い、秀一は甘いものを好まない。食べられないほどではないのだが、出来るなら極力回避したいし、食べられずに済むのならそれに越したことはなかった。
「嫌だったら嫌だっつって断ればよかったんだよ。なのに馬鹿正直にもらってるから『まあ秀一くんって優しいのね!』ってことになるんだろーが」
「だって、折角僕を思って作ったり買ったりしてくれてるのに、……断れないよ。別に、アレルギーで嘔吐するとか蕁麻疹が出るとかいうんじゃないんだから」
「それは違うよ秀ちゃん!」
「ぅおっ!?」
「わあっ!?」
 突如降ってきたその声に、葵と秀一はびくりと大仰に肩を震わせた。
「……っんだよわぴこかよー。脅かすなよなあ」
「えへへ〜、ごめんねえ」
 二人の安堵のため息に、わぴこはまったく悪びれる様子もなく謝る。そして、珍しくキリッと表情を引き締めて秀一に詰め寄った。
「秀ちゃん、そーゆうのって違うよ」
「え……?」
 あのねとわぴこは語る。
「みんなが秀ちゃんにチョコあげるのは、みんなが秀ちゃんのこと好きだからだよ。みんな秀ちゃんに喜んでほしいからチョコあげるんだもん。なのに秀ちゃんホントは甘いもの嫌いで、無理して受け取ってたなんて知ったら、みんな悲しむよ。そっちの方が嫌だよ」
 自分に素直で楽しいことが大好きなわぴこは、だからこそ誰かが傷付いたり悲しんだりすることを厭う。相手を気遣って我慢することこそ、時として相手を傷付ける結果に繋がるのだと教える。
「たまにはいいこと言うじゃねーかわぴこっ」
「えっへん!」
 葵に頭をぐしゃぐしゃと掻き回すように撫でられ、わぴこは誇らしげに胸を張った。
「……そうだね。みんなに、ちゃんと言っておこうかな」
 秀一は目を細めて言う。
 毎年学校に行くのが億劫になるこの日は、来年には少しだけ、待ち遠しいものに変わるだろうか。
「うん、それがいいよ!」
 わぴこは笑って頷き、次いでああそうだと思い出したように手を打った。どこからともなく未開封のポテチを取り出す。
「はい秀ちゃん。秀ちゃん、ポテチは好きだよね」
「ポテチが好きなのはお前だろ〜」
「えへへ。葵ちゃんだって好きじゃない」
 すかさず葵がからかい、わぴこはポリポリと頭を掻いた。そして秀一に笑いかける。
「どうせだったら、好きなひとにはそのひとが好きなものあげたいもんね」
 わぴこの笑顔には人を和ませる何かがあるのだろうかと、秀一はいつも思う。
「うん、ありがとうわぴこ」
「どーいたしましてっ」
 ゴホンッとすぐ傍らで咳払いが聞こえた。二人が顔を上げると、葵が、自らがもらったというチョコの山を指さしている。
「あ、そーだった。葵ちゃんの分もちゃんとあるんだよ」
「お前が作ったんじゃないだろーな?」
「ううん、わぴこは買っただけ」
「うむ、ならいい」
 さんきゅなとチョコを受け取る葵に、秀一はこっそり苦笑する。よく言う。たとえわぴこ本人が作った黒焦げのチョコだったとしても、何だかんだ言いつつ結局はしっかり受け取るくせに。……そしてそれは、きっと自分にも言えることだろうけれど。
「ホラよわぴこ、お前も食え。どーせコレ目当てだったんだろ?」
「うんっ。いただきまーすっ」
「わぴこ、僕のも頼めるかな」
「おっけー」
 わぴこは何の躊躇もなくチョコの山に手を伸ばす。全国の恋する乙女を敵に回しかねない所業だったが、幸か不幸かこれを誰かに見咎められたことはなかった。
 口の周りを茶色に染めてチョコを頬張るわぴこは本当に美味しそうで、秀一も少し食べてみたくなるのだが、周囲に漂うこの濃厚な甘い匂いだけで満腹になりそうだ。別にその場にいる必要もないのだが、チョコを頬張る二人を何とはなしに見守る。もらったポテチはまだ食べない。どうせならこの匂いが消えた後で食べた方が、ずっと美味しく感じられるだろうから。