「小狼!」
「サクラ姫!?」
 ドアからぴょこんっと飛び込んできたサクラに、小狼は慌てて手を差し出した。
「遊びにきちゃった」
 サクラはそう言って、えへへとはにかむように笑う。文句なしに可愛らしいその笑顔に、小狼は自分の体温が上昇していくのを自覚した。
 だがそうとは知らないサクラは、その様子に何か不安になったのか、
「………………お邪魔、だったかな? そ、そうだよね、小狼お仕事から帰ってきたばっかりだもん、疲れてるよね!」
「いいえ、そんなことはありませんよ」
 小狼は慌てて否定した。もっと他に何か上手い言い方はないかと思案するが、焦りと元々の性格が祟って何も浮かんでこない。
「ならよかった」
 それでもサクラはその通りに受け取ったらしく、すぐにまた、ほっとしたように微笑んだ。それを見て、小狼もつられるように表情を緩ませる。
「あ、小狼ってば、また敬語遣った」
 サクラは怒ったように頬を膨らませたが、本気で怒っていないことは火を見るより明らかだった。小狼としては、失敗したという気持ちよりも、微笑ましいと思う気持ちの方が先に立ってしまう。
 「敬語厳禁」「名前は呼び捨てで」――サクラに会うたび、小狼が言われ続けているお小言≠セった。別に彼女の言葉を無視しているわけではなく、これはもう癖のようなものである。長年遣い続けてきた敬語と呼称は、そうそう変えられるものではない。

「ねえねえ、今日のお仕事のお話、聞かせて」
「喜んで」
 大きな翡翠色の瞳を輝かせて身を乗り出してくるサクラに、小狼は微笑ましい気持ちになって席を勧めた。
「お茶淹れてくるから、ちょっと座って待ってて」
「あ、それだったら私にも手伝えるよ!」
 サクラは座ったばかりだというのにパッと立ち上がる。
「え、だ、だめだよ。姫……じゃない、サクラはお客さんなんだから、座ってて」
「平気平気! 私ね、この前お茶を淹れて、兄様と雪兎さんに褒めてもらったの! でも兄様、その後なんて言ったと思う? 『サクラにしては上出来すぎてますます怪しい。雪兎、胃の薬の調合をしておいてくれ』だって! いっつも一言多いんだから」
 笑ったり怒ったり百面相をしながら喋り、ついでに茶を淹れるため手を動かしているが、「褒められた」とだけあってさすがに要領はよかった。……ときたま容器を落としそうになって、そのたびに小狼をヒヤッとさせたことはご愛嬌で。

 

 

 サクラの兄である現王に、小狼は何故か睨まれっぱなしだった。敵意はあっても悪意はないらしく、悪い人ではないということも解っているので、小狼としてはどうも嫌いになれないのだが。別に、こちらが彼に嫌われるようなことをした覚えもないし。
(……いや、あるな)
 憎まれるところまではいかないとしても、煙たがれる程度の心当たりは。
 先にも記したが、サクラは王族で、小狼は一介の民間人だ。本来なら、顔見知りどころか幼馴染になどなれる筈もなかった存在。けれど奇しき縁で二人は出会い、心優しい姫は、父親を亡くした幼馴染を心配し、城から足げく通ってきてくれている。恐らく王にとって自分は、『大事な妹を外へ連れ出す嫌な小僧』なのだろう。
 一方で、彼はこちらの気持ちに気付いているのかもしれない、という可能性を恐れていた。

 

 ――焦がれてはならない恋。知られてはならない想い。求めてはならない相手。
 いとおしいと思う気持ちすら、不敬になるのだから。

 

 

「小狼? どうかした? やっぱり、疲れてるの?」
 サクラに顔を覗き込まれ、小狼はハッと我に返った。
「あ、いえ、いや、そーゆうわけじゃないよ」
「無理しちゃだめだよ」
「わかってる」
 サクラは尚もジッと小狼の顔を見詰めていたが、やがて、諦めたのか安心したのか、ふわっと表情を緩めた。

 彼女が微笑んだだけで、世界がこんなに優しく見える。それはなんて幸せなことなのだろう。

 

(充分だ)
 自分は、それ以上のことなど望まない。現状の関係でもう既に満足だった。
 胸の内の想いを、サクラに伝えようとは思わない。それは時に息苦しさを齎すものだったけれど、彼女が笑ってくれればそれだけで満たされるから。
 奪いたいとか、自分だけのものになってほしいとか、そんな激しいものではない。伝える必要などどこにもない。そんなことをしても、心優しい姫を困らせてしまうだけだ。

 だから、これでいい。

 

 ただ、彼女を想うだけで何より優しい気持ちになれる。そのことを素直に幸福だと思った。

 

 

知られてはいけない