「あー、疲れた」
 弥子はベッドにダイブして、柔らかい感触に沈むまま目を閉じた。今日も今日とて、あの非情な魔人からの精神的+肉体的虐待を受け、身も心も疲れ果てている。

「一体何に疲れるというのだ? 貴様はカカシのように、ただぼうっと突っ立っていただけではないか」

(……ゲ)
 背後から聞こえた声に、弥子は顔を顰めた。声だけで誰か判ってしまう(というか、ドアも開けずに部屋に入ってこられるのはヤツしかいない)だけに、尚更振り向きたくない。でも、無視したら何されるか(もしくは言われるか)判んないし。……答えたから何もされない、というわけでは決してないのだけれど。
「だってさー、学校は六時間びっちりあるし、なのに探偵業は全然休みになんないし」
 大小様々な規模の謎を嗅ぎつけるネウロは、弥子の都合などお構いなしだ。それこそ、授業中にさえ呼び出しを入れる。今日もそうだった。幸か不幸か、弥子の探偵業は既に学校中に知られているので、その旨を伝えれば授業を抜け出すことは大体多めに見てもらえるものの、それでも全員の教師が好意的というわけではない。授業をサボるための口実だのなんだのと、ネチっこく言いがかりをつけてくる者だっているのだ。
(あたしだって、好きで行ってるわけじゃないのに)
 S魔人の脅しで仕方なく、なんて言えるわけがない。誰が信じるというのだ。
「当然だ、貴様は我輩に餓死しろという気かこのナメクジめ。本当ならば今すぐ謎を探しに出かけたいものを、貴様が睡眠を摂らねば死ぬと言うから我慢してやっているのだぞ」
「あーハイハイ。ネウロはとっても優しゅうございますねっていたたたたた! いたい! 顔の皮が剥がれる!!」
 投げ遣りに言えば、いつの間に近寄ってきたのか、頬を尋常ならざる力で引っ張られる。
「ほう、よく伸びるものだな。貴様の頬は餅でできているのか?」
「そんなわけあるかっ!!」
「どちらにせよ不味そうだ」
 理不尽も甚だしいことを言い捨てて、ネウロは急に興味を失ったかのように頬を離した。ぎゅうぎゅうと抓まれていた頬は、痛いと通り越して痺れている。そっと触ると僅かに熱を持っていた。見えないが、きっと真っ赤になっているのだと思う。否、内出血しているだろうから紫か。
「どうしてくれんのよ、女の子の顔に……」
 下に降りて、湿布でももらってこようかなと思った。母に尋ねられたら、寝惚けてどこかにぶつかったとかそんなことにしておこう。
「む? どこへ行く、ヤコよ」
 重く気だるい体に鞭打って、ベッドから降りてドアに向かう弥子を、きょとんとネウロが呼び止めた。
「湿布取りに行くのよ。ないよりマシだもん」
「あれは臭いが好かぬ。根性で治してみせろアメーバ」
「できるか! っていうか誰のせいだと思ってんのよ!?」
「人間とは実にか弱き生き物だな」
 ふーやれやれと、ネウロは肩を竦めた。
「だったらもっと優しくしてよね!」
「おお、してやろうとも。こちらへ来い」
「な、何企んでんのあんた」
 さあさあと両手まで広げてみせるネウロに、弥子は反射的に後退る。こんなことで本当に「優しくなる」ような奴ならば、そもそも苦労はないだろう。
「どうした? 我輩に優しくしてほしいのだろう?」
 ニタリと楽しそうに笑うその笑顔が、さらに弥子の警戒心を煽る。
「や、優しくって、たとえば?」
「『優しく』だ」
「答えになってないし! いいよもう、湿布取りに行くから!」
 言い捨てて、逃げるようにドアを閉めた。階段を駆け下りる。何騒いでるのと軽く叱ってみせる母の声に、弥子は泣きたくなるほど安堵した。

 

 

***

 

 

「臭いぞヤコよ」
「うるさいなあ、あたしだって我慢してるんだから」
 顔を顰めるネウロに、誰のせいだ誰のと言ってやりたかったが、疲労と眠気も手伝ってもう面倒くさくなる。
「む、もう寝るのか? 我輩がつまらんではないか」
(知るか)
 声には出さず、目を閉じた。
「電気消して」
「つまらん。起きろ。まだ寝るな」
「……もーいい」
 こんなことなら湿布貼って部屋に戻った時に消しておけばよかったと、弥子はのろのろ立ち上がる。
「矮小で愚鈍な虫ケラの分際で、我輩に逆らうつもりか」
 電気を消して頭から布団をかぶっても、ネウロは懲りもせず、まるで子供のように駄々を捏ね始めた。
(もー……うっさいなあ)
 弥子は眉を顰めた。
 数少ない、ネウロの魔の手から逃れられる貴重な時間。ほんの八時間やそこら、そっとしておいてくれてもいいではないか。

「ヤコ」
 ヤコヤコヤコヤコヤコヤコ

(あーもう!)
 がばっと布団を跳ね除けて起き上がる。睡眠を必要としない魔人には判らないだろうが、一介の人間である弥子の体は安らかな眠りを欲している。まあ一日やそこらの徹夜でどうにかなりはしないが、こちとら誰かさんにこき使われたせいで疲れ切っているのだ。ぶっちゃけ眠い。もう喋ることすら億劫で仕方がない。
 だからねかせて、ねえねうろ。

「よるは、ねかせてくれるんでしょ?」

 自分でも驚くほどたどたどしい声になってしまったが、言い直す気も起きない。ようは目の前の魔人に聞こえればいいのだ。
 ネウロは何も言わなかった。こちらのあらゆる権利を無視した暴言が飛んでこないことを確認した弥子はそれを了承と取り、再びベッドに倒れ込んで今度こそ睡魔に身を任せる。
 「ずるいぞヤコ」と誰かの拗ねたような声が聞こえた気がしたが、それが誰のものだったか確かめる間もなく、弥子の意識は闇に呑まれた。

 

 

Give me a peaceful night.