激しい火花と、耳を劈くような高音が部屋中に散っていた。ここが研究所として防音完備でなかったら、たちまち近所からクレームが殺到しただろう。しかしアルーが祖父から譲り受けたここは人家からも離れ、古いながらもしっかりした設備を整えた『研究所』だ。騒音への苦情など来る筈もない。町から離れていて交通の便も悪く、決して立地条件がいいとは言えない場所だったが、人目を気にせず好きなだけ工学に打ち込むことが出来る。とりあえず今のところ、この生活でアルーに文句はなかった。
……なかった、筈であった。
「……何をそんなに怒っている?」
いつもはこちらが呆れるくらい、返事がなくても延々と喋り続けている彼女が、今は黙々と作業を続けている。作業台に寝かされたセルは居心地悪そうに、珍しく自ら話しかけた。
「べぇっつにぃー」
「…………」
言いながら不機嫌さを隠そうともしない声にため息が漏れる。彼女の眉間にはこれ以上ないくらい皺が刻まれ、人間(特に女)なら多かれ少なかれ誰もが一度は憧れるという蒼い瞳は半眼になってしまっていた。黙って笑っていれば、そこそこ見れる顔だというのに。
そもそも「別に」と言い張るくらいなら、少しはそれらしく隠すふりでもしてみたらどうだと言いたくもなる。
「アルー」
「ちょっと話しかけないでよ。手元が狂う」
「戯言を。天才工学者の名を欲しいままにしているお前に、今更狂う手元などあるものか」
「……………………否定は、しないわ」
アルーは自分が他者からどのように見られているか、どのように思われているか、充分すぎるほど把握していた。元々聡い娘であったし、彼女が祖父と同じ工学者への道を歩むと決めた時から、向けられる感情を正負問わず殆どすべて一人で受け止めてきたせいでもある。理解者がいないわけではない。けれど敵の方が圧倒的に多いその世界で、アルーのことを本当に思いやってやれる人間など数えるほどもいないのが現状だ。ただでさえ、女というだけで既に大きなハンデを背負ってしまっているのに。圧倒的に男が多いこの業界では、アルーのように女でありながら優れた才能と技術を持つ者は多かれ少なかれ偏見と差別を受けることから逃れられないのだ。
「アルー」
彼女が負けず嫌いで意地っ張りなことは知っている。けれどせめて、今は普段滅多に吐かない弱音というものを吐き出させてやりたかった。ここに彼女の敵に回るものなど誰もいない。外に味方がいないというのなら自分たちこそが味方になる。人肌のぬくもりは与えてやれないけれど、その心を苛む外敵など破壊してやる。降りかかる火の粉からも守ってやる。だからだからだから。
(……などと、もうすぐいなくなるオレに言われても説得力は無いか)
セルは己の出自を改めて厭わしく思った。彼女を守るためのものだと自負していた能力が、彼女から離される理由になるとは。そしてそのために彼女は今、嘆きながら憤っている。これは何の因果だろう。
「アルー」
何度も繰り返し呼ぶ。それしか出来ないことがもどかしかった。頭部にある司令塔から切り離された胴体では、彼女の頭を撫でてやることも抱き締めてやることも出来やしない。
「あたしは」
いつの間にか、アルーの手は止まっていた。オイルまみれの顔は俯いているせいで、赤に近い橙色の髪が邪魔して見えない。
「――じいちゃんは。じいちゃんはこんなことさせるために、あんたを拾ったわけじゃない」
「解っているさ。けれど仕方ないのだろう? 国からの命令とあってはな。戦争にアンドロイドは不可欠だ。それも戦闘用の物であれば尚更」
――――セルは戦闘用アンドロイドで、しかもそれは旧世界に造られたものだったと。
その事実をアルーたちが知ったのはつい最近で、何処で嗅ぎつけたのか国からセルの参戦命令が下ったのは昨日だ。そして出発は、明日の早朝だという。
「オレが参戦すれば国から大金が支給される。それをお前の研究か、他のやつらのために使えばいい」
「それ以上言ったら再起不能にするわよ」
ジト目で睨まれて、セルは正しく口を噤んだ。
「そりゃあさ、あんたは製作者不明なおかげで保険かかんないから行ってくれた方が経済的にはいろいろ助かんのよ。でもあたしもじいちゃんも、セルがいなくなった方がいいなんて、しかも戦争に行ってほしいなんて、思った時なんか一回もないよ」
メンテナンスは最終段階に入ったらしく、散らばっていたパーツはどんどん内部へ収納されていく。喋りながらだというのにいつ見ても鮮やかな手つきだと、見当違いな感心をした。
「造ってあげたのはあたしたちじゃないけど……セルだって他の子たちと変わんないよ。家族だもん」
返される眼差しは、どこまでも真摯。
セルがアルーの祖父に拾われたのはもう十年以上前のことで、拾われたばかりの彼は破損が酷く、特に頭部に組み込まれたメモリーチップはほとんど原形を留めておらず、拾われる前のことはもちろん、自分の出自、名前すら覚えていない有様だった。
一般的に機械と呼ばれるものはたとえどんな小さなものであってもまず国からの審査が入り、通過すると個人企業問わず各製作者専用バーコードの表示が義務付けられる。それを怠ると国に認証してもらえず、認証されていないものはその維持費、修理費等の保障をしてもらえない。つまり、国に認証されているのとされていないのではかかる資金に天と地ほどの開きが出るのだ。そして拾われた彼にバーコードは無かった。
彼女とその祖父くらいなものだ。金のかかる得体の知れないアンドロイドを掴まえて、家族と言い切ってしまう人間は。
「……知っている」
どれだけ愛されて――慈しまれて大切にされてきたか、解らないほど愚鈍ではない。
出自も製作者も不明だからという理由で再びスクラップとして破棄されるのを待つだけだったこの身を、同じ理由で救い上げてくれたのは彼女の祖父。名前と家族という温かなものを与えてくれたのは彼女だ。出来ることなら一生、傍で守ってやりたかった。
「……っと、ほい終了。どう? 具合の方は」
最後にガッチャンと首と胴を接続して、アルーはセルの顔を覗き込む。それぞれの関節を軽くほぐすように動くセルは、何処からどう見ても人間だった。言わなければ、彼がアンドロイドだと誰も気が付かないだろうと思わせる。人間の瞳孔に当たる部分が収縮し、ダークブラウンのガラスの眼がかち合った。セルほど精巧にして精密なアンドロイドはまだ珍しい。いつか彼と同等の、否、それ以上のアンドロイドを造ることが、アルーの目指してやまない野望だ。
「む。問題ない」
「当ッ然」
アルーはえへんと胸を張って少し笑う。その顔を見るのが、セルは好きだった。
きゅっと顔を引き締めると、アルーはセルにビシッと指を突きつけた。
「いい? どんな状況下になっても、まずは自分が生き延びることを考えるのよ。戻ってこなかったら承知しないんだから」
「解っている」
「どんな姿になってもいいから、どのパーツふっ飛ばしてもいいから、必ず! 絶対の絶対に戻ってくるのよ」
瞳を揺らしてしまわぬよう、わざと眉間に力を込めて唇を噛み締めて。ああどうして、彼女は出逢った時から変わらないのか。
「……ああ、約束する」
己のそれよりもひとまわりほど小さい手に口接けて誓う。
彼女の笑顔を見るためになら、自分はどんなことでも成し遂げよう。だからその時まで、どうかそのまま、この場所で。
メタリック・エントゥリーティー