十二月十二日――
「ねえねえ風子、放課後買い物行かない? 近くに可愛い店見付けたんだ」
嬉々とした様子でさやかが声をかけてくる。風子はすまなさそうに顔を顰めた。
「あ、ごめんね。用事あるんだ」
「えー、またあ? 最近、なんか二日に一遍はあるわよね」
不満げな友達に、風子は謝ることしか出来ない。
「ごめんね」
「ははん、さてはオトコでもできたわねっ!?」
「ちっ、違う違う!! そんなんじゃないよ!!」
「必死に否定するところがますます怪しい」
「ホントに違うんだってば!」
「へ〜、ほ〜、ふ〜ん」
「さ、さやかちゃ〜ん……」
ほとほと困り果てたように風子が言うと、察しも物分りもいい彼女はやれやれとため息を吐いた。
「ま、いいわ。明日はいいんでしょ?」
「うん、多分」
「なら明日は絶対ね! バイバイ」
「バイバイ、また明日」
手を振って去っていくさやかを、同じように手を振って見送る。結局は気を使わせてしまっていることに胸を痛めて、もう一度ごめんと心の中で謝った。
(でもねさやかちゃん、本当にそんなんじゃないの)
二人が再会を果たしてから、既に一週間が過ぎた。傲岸不遜な天使の暇つぶしの相手として指名を受けた風子は、こうして二日に一度の割合でレグナの地上観光に付き合っている。
待ち合わせ場所は主に学校の裏門で、放課後の二、三時間程度をあてもなく歩き回ることが殆どだ。その間、レグナは人間に扮し、翼を出すこともせず大人しく風子の隣を歩いている。レグナが行く先々で目に付いたものを片っ端から「あれは何をしてるんだ」とか「あの建物は何だ」とか「これは何て名前だ」とかいうような質問を投げかけ、その度に風子が答えるような、本当に暇つぶしでしかない時間である。それでも、異性と二人きりで何処かへ出かけた経験の乏しい風子にとって、それはとても新鮮で楽しいものだった。
「遅い」
出会い頭の第一声にレグナが言った。寒々しい服は暖かそうなコートに変わり、風に揺れる髪も、その間から覗く目も黒。その容姿が異常に整っていることを除けば、どこをどう見ても普通の人間にしか見えない。風子は天使姿の外観(というか翼)を大層気に入っていたが、こちらの方でも悪くないと思い始めていた。性格の傍若無人さは、どちらであっても変わらないのだし。
「ごっ、ごめんなさいっ、途中で先生に用事頼まれて……」
「そうじゃなくて、お前の走る速度。お前足遅いなあ」
名前はちゃんと教え合った筈なのだが、その時以来、レグナはどうしてか風子を名前で呼ばない。不満があるとしたらそれぐらいだ。
「う、これでも精一杯なんですっ」
「知ってるよばーか」
小馬鹿にしたような物言いと表情は、けれど思いの外優しい。それが判るから風子は、勝手に早くなっていく鼓動と紅潮していく頬を止められなくなってしまう。それらが示すことの意味を痛いほど知っていたが、敢えて知らない振りを続けた。気付きたくないことに気付いていない振りをするのは、もう慣れている。
「ぼやぼやするな、行くぞ」
「はいっ。今日はどうしましょうか?」
「そうだな、……おい、あれは何だ?」
あれ、とレグナの指差す方向に目を向けた風子は、ああと頷いた。
「ああ、ゲーセンですか」
「げーせん」
「ゲームセンターの略です。私はあんまり行ったことないんですけど、たくさんゲームが置いてあって楽しいんですよ」
「金はかかるのか」
「そうですね、最低でも一回三百円くらいかかると思います」
「ふん。何処もかしこも金なしでは何もできないのか。つまらん」
レグナは軽く鼻を鳴らした。下界の賃金を持たない彼がそれを木にせず楽しめる場所は本当に少ない。
「あ、でも、今日はちょっと多めにお小遣い持ってきたんで、二、三回なら遊べると思いますよ」
「いや、いい。狭くて人間がごちゃごちゃいるところは嫌だ。それより俺はクレープが食べたい」
「はい、じゃああっちですね」
風子が方向を示す前に、レグナは既にそこへ足を向けていた。それだけ見ると大食漢のようだが、本来彼らに食事の必要はないのだという。それは彼らが死人の魂を運ぶために形作られた存在だからであって、空腹も満腹もないのだそうだ。口の中に入れても味覚は殆ど感じないらしい。
それなら何故食べたがるのかと訊けば、口に入れたときの感覚が面白いからだという。風子にはあまり理解できないことだった。
「……レグナさんは、人が嫌いなんですか?」
恐る恐る尋ねてみる。レグナは時折、人間嫌っているかのようなことを言う。そのたびに風子は胸が痛くなるのだ。まるで風子すら本当は嫌いなのだと、遠回しに告げられているようで。
「別に。馬鹿が嫌いなだけだ」
「人は馬鹿ですか?」
「馬鹿だと思う方が多いな」
返された答えは素気無い。とうとう風子は黙り込んだ。大多数だという「馬鹿」に、自分が含まれていないという自信はまるでなかった。
いつの間にか足まで止まっていたらしいことに気付いたのは、額に強烈なデコピンをされてからだった。
「たっ」
思わず声が出る。じんじんと痛みを訴える額を掌で庇うように覆えば、不機嫌そうなレグナの顔が涙の滲んだ目に入った。
「ぼやぼやすんなっつっただろ」
「ご、ごめんなさ……」
「一度しか言わないからよく聞け」
俯きかけた風子の顔を、レグナは頬をむにゅっと両手で強く挟んで強引に上げて自分の顔を近づけた。
(きゃーっ! きゃー! ちっ、ちっ、近いですレグナさん……!)
ぼっと音が出そうな勢いで頬を赤く染めた風子は必死でその手から逃れようと身を捩るが叶わない。もにょもにょ口を動かすが、抗議の言葉さえ封じられている。
レグナは風子の内心など知ったこととばかりに口を開いた。
「俺は、嫌いなやつと一緒にいることなんかしない」
(えっ……?)
「解ったらさっさと歩け」
ぽかんと呆けたのも束の間、レグナに用は済んだとばかりにぽいっと手を離され、風子は大きく体勢を崩した。
「きゃっ……、っぷ!」
倒れこんだ先はレグナの胸だった。風子は慌てて離れる。
「すっ、すみません! あの、えっと私……」
はあと心底呆れたようなため息を零され、身を固くした。
「本当にどんくさいやつだな、お前は」
呆れたような口調。けれどその表情は思いの外優しい、半ば苦笑に近いもので。
風子はさらに胸を高鳴らせた。
□□
風子が自分の家の玄関をくぐったのを見届けて、レグナは軽やかに飛翔した。彼女の家が喫茶店を営んでいると知ったのは割と早かったが、実際に立ち寄ったことはない。近い内に彼女のウェイトレス姿をからかいに行ってやろうとも思っているのだが、何故だか果たせずにいる。その理由について深く考えたことはなかった。
(人間は馬鹿だから嫌なんだ)
苦々しくレグナは思う。浅慮で視野が狭く、どうしようもなく愚かで、――だからこそ胸が痛くなる。放っておければそれ以上に楽なことはないのに、どうしても出来ない。嫌うことができればよかった。これ以上なく嫌悪して、そして見捨ててしまえたなら。
――――レグナさん。
天使をもじって適当に告げた名前を、素直にそうと呼ぶ少女が脳裡に蘇る。そして改めて思い知った。聞こえる声、感じる視線に含まれた感情を知っているからこそ。
告げてくれるな、気付いてくれるなと。
酷い矛盾を思った。
放課後ラプソディ