十二月二十日――

 

「よーう、相変わらず暇してんなあ」
 頭上から降ってきた声に顔を顰め、レグナは不承不承振り返った。
「どうしてお前がここにいる? 不始末の遅れは取り戻せしてるんだろうな」
「おー、順調順調。ご希望通り、三週間内でキッチリ終わるだろうよ」
 声の主である男はカラカラと笑う。
「……ならいい」
 それだけを言ってふいっと顔を背けた。男はそんなレグナを意味ありげに見詰めていたが、やがてなんでもないように話を持ち出す。
「そういえばさ、風の噂で聞いたんだけど、アンタ人間と関わってるってホントか?」
「まあ、暇つぶしにな」
「いいご身分だぜ、非情要員のくせに」
「実際いい身分なんだよ俺は」
「そうでした」
 男は軽く肩を竦めて見せたが、次の瞬間、男からはつい先程までのおどけた気配は消失した。
「忘れんなよ」
 低く落とされた声に、けれどレグナは一瞥をやるだけ。
「俺らやアンタ、……天主でさえも、どうにもできないことはある」
 それは紛れもなく警告だった。
「何のことだか解らん」
「おいっ……!」
「お前こそ忘れるな」
 飄々とした返事に焦れたような声を遮る。
「俺に指図していい奴は、あいつだけだ」
 黙り込んだ男を置いて、レグナはふわりと飛び立った。
『もう一度だけでいい。逢いたいひとがいるんだ』
 柔和な物腰の中に、誰にも譲らない頑固ともいえる彼の芯の強さを感じ取ったのはいつだっただろう。恐らくはそのときから、逆らえないことは決まっていたのだ。
(何がしたかったんだ。俺に何をさせたかったんだ、あいつは)
 彼が下界の魂を運ぶ役目を担っていたのはつい最近のことだったが、それでも下界の者たちにとっては途方もないほど遠い昔の話。一人の少女が老いて死に、その子供たちを「子孫」と呼ぶほどには。それを知らなかったわけではあるまいに。
 後悔をしているかと尋ねたら、きっと笑う。腹立たしいほど強い確信があった。
(なら、俺は?)
 脳裡に浮かぶのは一人の少女。最初は驚きに目を丸くして。次に警戒心と、ほんの少しの畏怖。隠せない興味。こちらの要求に戸惑って慌てる様が面白くてよくからかった。好きなのに怖いと言って泣いた顔。そして、時折見せるはにかむような笑顔。
 仕方なしに降りてきた下界が、こんなにも離れ難く感じるなんて思わなかった。

 

 

 

 

「なんかもうクリスマス一色って感じだねー」
 定番のクリスマスカラーはもちろん、金銀など色とりどりの装飾が施され、きらびやかに装いを変えた町に、さやかは感心したように言う。朝のひんやりとした空気の中でそれらはある意味夜よりも輝いて見える。
「毎年悪いわね、お邪魔しちゃって」
「そんなことないよ。さやかちゃんが来てくれた方が楽しいもん」
 風子は笑って言った。クリスマスイヴのパーティーはずっと前から決まっていることだ。パーティーといっても小規模なもので、ささやかながらケーキや夕食、飲み物が振舞われたり、ゲームや談笑をしたりしながら夜を過ごすのである。
「……風子さあ、最近、何かあった?」
「え?」
 唐突なさやかの言葉に、風子はきょとんと目を瞬いた。
「なんか、少しだけ吹っ切れたような感じがする」
「そうかな。……うん、そうかも」
 思い起こすのはあの不遜な態度の天使。あの日彼がくれた言葉の数々は、しっかりと風子の胸に仕舞われていた。
「良かったね」
「うん」
 さやかの活発な笑顔に吊られるように、風子も笑う。
 いつもながら唐突に現れた天使に悲鳴を上げるのは、その三分後だった。

 

 

□□

 

 

「やっぱりトロくさいな、お前」
 頭上から降ってきたからかうような声に、風子はびくりと肩を震わせた。
「あ、わ、レグナさん……」
 塀に腰掛けていたレグナは、体重を感じさせない軽やかな身のこなしで地面に降り立つ。それでも幾分高いところにある顔を、風子はそっと盗み見た。こうして彼を見上げられるのは、あとどれくらいだろうと思いながら。
「ぼやぼやするな、下界の時間は瞬きよりも速い」
「はいっ」
 元気よく応え、颯爽と歩き出す背中を追う。そこで意を決したように切り出した。
「……あの、訊いてもいいですか?」
「言ってみろ」
「レグナさんが言ってた『あいつ』って……、私のご先祖様に会いたがってたひとって、どんなヒトなんですか?」
「聞いてどうする?」
 歩きながらちらりと一瞥され、すぐさま何でもないと言って取り消してしまいそうになるのをぐっと堪えた。
「え、あ、いえ、ただちょっとどんなヒトかなって思って……」
 レグナはため息を吐いて立ち止まった。その様に居た堪れなくなって、風子がやっぱり取り消そうと口を開くと。
「大馬鹿者だ」
 素っ気なく吐き出すような一言。それが先の質問の答えだと、気付くのに時間がかかった。
「え……?」
「律儀でお人好しで不器用で要領が悪くて、それでも何でもないみたいに笑ってる変な奴だ」
 辛辣な言葉なのに、やるせなく聞こえるのはどうしてだろう。
「もしかして、それって『てんしゅ』さんのことですか?」
 無言は固定と同義だった。
「天主は世代交代をする。すべての生と死の循環を正しく管理して、世の秩序を守るために、そのとき一番相応しいやつが選ばれる。あのときはそれがあいつだった。今までずっと忙しかったからな。それがようやく落ち着いたんで、昔のことをうだうだ考えられる暇が出てきたんだろ。……もう遅いってのに」
「でも、ご先祖様は死んでその『てんしゅ』さんのところに行ったんじゃないんですか?」
「それは違うな。俺たちはあくまで魂を然るべき場所に運ぶだけが仕事で、あとは別の管轄の仕事になるんだ。運んだ魂とは、もう二度と会うことはない」
 もう二度と。その言葉が風子の胸を深く穿つ。どうしようもなく悲しくなって、けれど泣くまいと目に力を入れた。
 ふと思う。
 目の前にいる彼は、遠い未来で同じように自分のことを思い出してくれることがあるだろうか。逢いたいと、思ってくれるだろうか。
(レグナさん)
 私は。
(――あなたが、好きです)
 伝えたい想いは決して口にしてはいけないもの。風子は唇を噛んで、胸の内で燻る想いを飲み干した。

 

 

セレナーデが聴こえない