十二月二十四日――

 

「あー、おいしかった! やっぱし、生まれてみるなら女の子ってね!!」
 小さな、けれど可愛らしい店から出て、さやかは満足そうに伸びをした。その上機嫌さたるや、今にもスキップをしながら飛び上がりそうだ。
「うん、また来たいな。私、あそこのガトーショコラ好き」
 風子も、未だ口の中に残っている幸せの味に頬を緩ませる。
「シュトーレンも捨てがたかったわよ!」
「ショートケーキも美味しかったね」
 今度はアレを食べようなどと暫し歩きながら談義をし、ほとぼりが冷めたところで、
「……と、じゃあ、あたしはここで」
 さやかが切り出した。この後のパーティーに備えて、風子と交換するプレゼントや持ち込む料理などを持ってくるため、一度ここで別れることになっている。
「うん、気を付けてねさやかちゃん」
「また後でね、風子!」
「待ってるよ」
 元気よく手を振って駆けていくさやかが見えなくなった後、風子はふっと力を抜いた。意識して作られた笑顔が消える。ポケットから一枚のカードを取り出した。
『pm11:00 近くの公園』
 今朝、枕元に置いてあったものだ。素っ気なく書かれたそれだけで、風子はこれが誰からのものかを察した。そして、これがきっと最後の逢瀬になるだろうことも。
 暗記しても尚飽きずに眺めたカードを仕舞いなおし、風子は顔を上げた。泣く時は今ではないと、歩き出す。

 

 

□□

 

 

「結局最後まで手伝ってくれなかったな。何のための非情要員だよアンタ」
「いいだろ、俺が手を貸さなくても期日には間に合ったんだから。ご苦労だったな」
 恨めしげな声にも動じず、レグナは偉そうに労った。高層ビルの最上階に悠然と立つその近くに、男は降り立つ。
「……天主に進言しちゃる」
「してみろ。あいつに言いつけられた仕事は遂行した」
 男はやれやれとばかりに肩を竦めた。
「それにしても明るいな下界の夜は。何だって、当日じゃなくて前夜にこんなに騒いでんだ?」
 そう言って、目下の町々を睥睨する。レグナはどうでもよさそうに言った。
「馬鹿だからだろ」
「アンタにかかればみんなそうじゃんか。ってか、馬鹿じゃない人間なんかいるのかよ?」
「知らん」
「まあ何にせよ、お疲れさん。アンタこのまま戻る?」
「……いや」
 レグナは首を横に振る。
「行くところがある」
 その眼差しの先にあるものを悟り、男は緩くため息を吐いた。予感していたとはいえ、やる瀬なく思うのは仕方がない。
 まったく、天使なんて本当に因果な職業だ。
「例の人間のトコ、だろ」
 それは問いかけではなく確認。背を向けていたレグナがゆっくりと男を振り返る。
「だったら何だ」
「別に? ただ、アンタは人間じゃない」
 たとえば姿形が似ていたとしても。
「人間じゃないんだよ」
「解ってる」
 解っているのだ。
 然るべき場所へ帰ることに迷いはない。けれど置いて行くのだということが、ただ恐ろしく思えた。このまま会わず何も告げないまま彼女を残して帰ることが、ただ怖かった。
(まあ、馬鹿馬鹿しい勘違いなんだろうけどな。……でも)
 不本意ながらに地上に居座ったこの三週間の中で、ふと考えたことがある。弱くて脆くて儚い、そんな人間だったら、いつまでも彼女の傍にいられただろうか。想いを受け止め、想いを告げることも出来ただろうか。
 そこまで考えて、本当に恐ろしいのはそんなことを考える自分自身だと知る。
「俺はもう行く。じゃあな」
「あっ、ちょっ」
 ヒトではない証たる真白の翼を広げ、レグナは飛び立った。男が止める暇もない。あっという間に見えなくなった姿に、ため息を吐いた。
「う〜ん、あれは本気っぽいなあ」
 プライドの高い彼のことだから、人間を恋うあまりに身を堕とすなんてことはないだろうとは思うが。叶わぬ想いに憂うのは、何処の世界でも少ない方が良いに決まっている。
 天使を優しく慈しみの象徴に比喩えたのは誰だったのだろう。現実はこんなにも身勝手で浅ましいというのに。或いは、長く人間に関わりすぎたせいでヒトに近付きすぎてしまったのか。
「……ばっかみてー」
 誰に向けたのか定かでない呟きは、白い息と共に夜空へ溶けて消えた。

 

 

別れへのインテルメッツォ