クリエイターに30のお題
01. 唯一の 02. 油断 03. デジタル 04. 結局のところ 05. 
06. メガネ 07. ぬいぐるみ 08. チケット 09. 花火 10. 体温計
11. バースデー 12. 背中 13. 昼休み 14. バスタオル 15. 日記
16. 花盛り 17. ペンケース 18. ナマエ 19. 眠気 20. 要求
21. 読書 22. ドラッグストア 23. 満足 24. ただいま 25. 
26. 何より大事なもの 27. 曇り空 28. ゼリービーンズ 29. 写真 30. 終わりのない



 
01. 唯一の  ゆいいつ。ただひとつ。それだけ。

 少女は泣いた。その他大勢に埋もれてしまうのは嫌。誰かにとっての特別な一人になりたいと。
 少年は戦く。ただ一度でも失われたら、もう二度と取り返しがつかないその存在の重さに。
 ある人は言った。それは世界中の何処にでも満ち溢れているものだよと。
 
02. 油断

「油断は信頼の現れってホントかな?」
「なるほど。なら俺たちは振り向いた瞬間に互いの指で頬を突かれることもなく、膝カックンやら何やらにも引っかからなくて済むということだ。よって俺の背後に回っても無駄だぞお前」
「チッつまんねー」

 
03. デジタル

 自ら夜遅くまで勉強を重ね、祖父の手つきを見よう見まねで覚え、形を組み立てていく。組み入れる部品、繋ぐ配線、入力するコマンド、唯の一つでも間違えれば動くことはない。
 最後のネジで蓋を閉めて、逸る気持ちを抑えつつスイッチを押した。
≪ピ――――ッ≫
 甲高いそれは産声。
 設計から部品集め、組み立てのすべてを自らの手で行った起動と、女が体内で造り出した生命の誕生、それらのどこに違いがあるというのか。
 ああ、そのときの嬉しさといったら。

 
04. 結局のところ

「好きなんでしょ?」
 咄嗟に違うと言いかけて、けれど目に入ったにやにや笑いに脱力した。「もう解ってんだから素直になれ」と顔に書いてある相手に、いくらこちらが否定してみせても無駄だ。
 放って置いてほしい。こっちは胸に燻るこの気持ちを、どうにか表に出さぬよう必死なのだから。

 
05. 

 ネコは俺の友達だ。
 こう言うとまず間違いなく、こいつ頭おかしいんじゃね? 的な視線を受けるのだが、別にあの愛玩動物として名高いネコ科の哺乳類ではない。『ネコ』という渾名を持つ、正真正銘ホモサピエンスの女の子のことだ。接点は委員会しかないけど、結構仲いい方なんじゃないかなあ。
 誰がその渾名をつけたのか今となっては判らない。別のヤツだったかもしれないし、案外俺だったのかも。ネコ自身はこの渾名をあんまり気に入ってないみたいだけど、俺はぴったりだと思ってる。本人に言うと「どこが!?」って微妙な顔されるんだけど。
 委員会の時は大抵、時間より早く来て暖かな窓際のベストポジション陣取ってるトコとか。(俺も結構早めに行くけど勝ったことがない)
 今時の若者に珍しく魚が好きだったり(委員名簿に載ってた)、昼食の時には紙パック牛乳がデフォルトだったりするトコとか。(何回か見たことあるからきっと間違いない)
 欠伸した時にちらりと見える八重歯が、結構尖ってるトコとか。(噛まれたら痛そー)
 髪の毛も猫っ毛だし(柔らかいんだ)、ちっちゃいしな!(150cm前半らしい)
 もしやネコって、前世は猫だったんだろうか。だから今、人間に生まれても渾名が『ネコ』なのか? だったら面白いのにな。
 ネコの新たな猫っぽさを発見するべく、今日も俺はネコ観察を怠らない。

 
06. メガネ

 レンズ越しに世界が歪む。脳がぼうっとする感覚に顔を顰めた。
「くあ〜、くらくらする」
「ほらもういいだろ、返せ」
「あっ」
 やっとのことで手にしたメガネをあっという間に奪われる。……奪ったのはこちらだが。
「けち」
 かけてからまだ一分も経っていないというのに。涼しげな顔でレンズを拭いてメガネをかけなおす男を、私は恨めしげに睨んだ。
「けちでも何でもいい」
「そんなのかけててよく平気だね。頭痛いよ」
「俺はこれがないとよく見えないんだ」
 その理由を私は知っている。こいつに教えられたわけではない。ただ知っているのだ。
 それが単純な視力の高低でないということ、そしてそれをどうしてやればいいのかも。何故ならこいつの視力は、文字通り私の手の中に在るのだ。けれど何もしてやらない。何も知らないフリを続ける。今はまだ。
 ごめんねと、心にもないことを思った。
「普段メガネかけてる奴が外した時、カッコよさが三割上がるって話、知ってる?」
「知らん」
「なあんだ、ソレ狙ってるのかとばかり」
 無言で睨まれる。そこら辺の不良を威圧するには充分すぎる眼力だけど、以前のこいつに比べれば屁でもない。馬鹿にするなよ、私は以前のお前のそれを真っ向から受け止めつつ立っていられたやつだぞ。
「お前にメガネは似合わないよ」
 言い捨てて歩き出す。まだじっと見据えてくる視線を感じたけど、後ろを振り向くことはしない。ほしいのは、フィルター越しに注がれるそれじゃない。
 いつかメガネを必要としないあいつの目を、真正面から見詰められる日が来るのだろうかと、ふと思った。

 
07. ぬいぐるみ

 ぷすっ
「いたっ」
 ちくりと刺す一瞬の痛みに顔を顰める。布を貫通し、その向こうの人差し指にまで刺さったのである。ぷっくりと膨らんだ赤い玉を吸い、布に血が付かないよう細心の注意を払う。気を取り直してもう一度。
 ぷすっ
「……ったあ〜」
「よくそんなにぷすぷす刺せるわよねえ、自分の指なのに」
 横から入る呆れたような声に、眉を吊り上げた。
「刺したくて刺してるんじゃないのっ!」
「裁縫てんで出来ないくせに、なんでぬいぐるみなんて作ろうと思ったの? だれかにプレゼント?」
「うん、妹にね」
「ナ〜ルホド」
 短いけれど充分すぎる答えにようやく合点がいく。この不器用な友人は、年の離れた妹を大層可愛がっているのだ。彼女の妹は確かに愛らしい顔立ちをしているし、待ちに待った妹ということもあり、その溺愛ぶりは微笑ましいものがある。可愛い妹のために、大の苦手、鬼門ですらある裁縫にチャレンジするという辺りが。
「一番簡単だっていうから、このキット買ったのに〜」
「や、簡単でしょ。もう布切ってあるんだし、材料全部中に入ってるし」
「全部繋げろとは言わないから、せめてパーツくらい縫っておいてほしかった」
「だったら買った方が早いじゃん。文句言う暇あるなら手ェ動かす! 間に合わなくなってもいいの?」
「よくないよっ」
 ああだこうだと文句を垂れつつ、それでもやめると言い出さないのは、姉妹愛のなせる業か。
「血だらけのぬいぐるみにならなきゃいいけど。ねえ?」
 聞こえぬよう、小さな声で呟く。
 なんとかそれらしい形になったクマの顔が、あどけない表情で二人を見詰めていた。

 
08. チケット

 ポケットには彼女が見たがっていた映画のチケット。普段は気にしないけど、ニュースでやってた血液型占いの恋愛運は好調。空は眩しいくらいの快晴で、吹いてくる追い風が気持ちいい。
 舞台は整った。あとは彼女からの二つ返事のみ。

 
09. 花火

「浴衣着て花火イン縁側! これぞ日本の夏って感じだよね〜」
「いやあ、風流でいいですなあ」
「お母さんが、あとでスイカ切ってくれるって!」
「「「ゴチになりまーす!」」」
「次、何の花火やる? 天神? PL? ……て、ちょっと一人で何やってんのそんな隅っこで」
「ほっといて。私は今、ちょっと人生の虚しさを悟ってるの」
「線香花火で?」
「ウッ煙が目に染みる!」
「そんな顔近づけるからでしょーがっ! あっコラそこ! ロケット花火は人に向けちゃいけないんだってば!」
「ねえお姉ちゃん、わたし打ち上げ花火したい」
「あーハイハイ、わかった。お姉ちゃんがやってあげる。けどね、」
「それでね私、一度でいいから、覗き込んだり手で持ったり人に向けたりしたいんだけど」
「しちゃいけませんって書いてあること全部しようとすんな!」

 
10. 体温計

 触れた肌は、彼にとっては冷たく、彼女にとっては熱かった。
「ふふふ、子供体温」
「違ェよ冷え性ババア」
「何よ、冬はホントに冷たくて寒くて大変なんだからね!」
「なあ、このままでいたら、お前が冷たくなるかな? 俺が熱くなるかな?」
「試す?」

 
11. バースデー

「誕生日おめでとう!! やあやあめでたいめでたい。産まれてきてくれた君に心からの言祝ぎを。むしろこちらが礼を言いたいくらいだね。産まれてきてくれて本当にありがとう。君という存在が産まれた今日この日に乾杯。今まで結構それなりに長く生きてるけど、やっぱりこの瞬間が一番嬉しくて感動するよ。ん? 私? いやいや、改めて名乗るほどのものでもないよ。隠し事? そんな、君と私の仲じゃないか。うんまあでも君が私を知らなくても仕方ないかな。え、やだなあ、何もそこまで不審そうな目で見詰めてくれなくても。つまらないよ、私の話なんて。一番退屈してる私が言うんだから間違いない。年長者の苦言には、多少納得いかなくても従うことをオススメするけど。はは、わかったわかった。予め呈示された忠告に敢えて背くか。うん、それでこそ君だ。いいよ、何でも訊いて。今日の私は頗る機嫌がいいから、解る範囲なら何でも答えてあげる。え、機嫌がいい理由? そんなの、君が産まれてくれたからに決まってるじゃないか。だって、停滞という名の生き地獄がこれでまた一歩遠ざかったも同然だからさ。変化のない停滞した毎日以上に恐ろしいことなどないよ。真っ白な、あの何もない時間。安穏と平穏に支配された空間。平和という名の檻。こってりとしたコクとまったりとしたトロみのあるぬるま湯に浸かっているような日々。何度、このままでは芯までドロドロに溶けそうだと危機感を抱いたことか。柄にもなく、生きてきた意味を真剣に考えてみたくもなるよ。あ、ここ笑うところね。あれ可笑しくない? 変だなあ、これが世代の差というやつなのかな? ってことは、私ももう長くないってことなんだろうか。嬉しいようなつまらないような。ああごめん、話が逸れたね。本当に感謝してるんだよ、君には。だって君が産まれてからというもの、毎日が楽しくて仕方ないんだ。こんなにワクワクウキウキしながら明日を待つのは何億年ぶりかな。レックスたちがいなくなった時以来だよ。あれはさすがの私もびっくりしたね。その前からだっていろんな子たちの生没を祝って悼んできた私だけど、あの瞬間ほど胸が躍った出来事はなかった。今でもはっきり覚えてるよ。瞼を下ろせば鮮やかに浮かんでくるこの映像、音、衝撃。思い出すたびに私の心は震えるほど歓喜してる。これらすべてを文字に書き表せと言われたら、私の年齢を同じ枚数の原稿用紙を以ってしてもまだ足りない。この恍惚とした胸の高鳴り君に伝えられないことが唯一残念だ。いつだって支配者の盛衰ほど、心踊る劇はないんだから。ああまた話が逸れてしまったね、これも一種の老化現象なのかな? まったく、年を取ると変に感慨深くなってしまうからいけない。そんなわけで、これ以上ないくらい楽しませてくれる君の誕生を、私が祝わないわけがないだろう? ……え、解らない? 困ったな、これ以上何をどう説明すればいいのやら。ああそうそう、一つ言い忘れてた。天の邪鬼で楽観主義な君でも、これだけは素直に聞いてほしい。君が私の上を賑わせてくれてるのは一向に構わないんだ。むしろどんどんやってほしいというのが本当のところなんだけど、でも今はそれをもう少し抑えてくれないかな。だってこのままでは、私の寿命が尽きる前に君が消えてしまうよ。そんなことになったら、君がいなくなった世界で私は一体何を楽しみに生きればいいんだい? これは忠告じゃなくて懇願だね。どうか老い先長い老人の頼みだと思って聞き入れてほしい。おっと、ちょっと長居しすぎたね。それじゃあ私はこの辺で。君が大きくなった時は、また元気な君を産んでね。極東の島国では少子化が問題になってるみたいたけど負けちゃだめだ。私はいつだって君を応援してる。誕生日おめでとう。君の行く末に祝福あれ。どうしてもいなくなる時はせめて派手に頼むよ」

 
12. 背中

 大きいくせにやたら遠いところにあるそれへ、追いつきたいとは思わない。隣に並びたい、とも。
 追い越して、ただ見せ付けてやりたいのだ。思い知らせてやりたい。
 私がどんな気持ちで、あなたの背中を追いかけていたのかを。

 
13. 昼休み

 授業終了のチャイムと共に教室を飛び出す。同様の生徒たちを多数見付け、ただでさえ加速する駆け足に、さらに焦りという名の原動力がプラスされる。
 目指すは食堂。
 今日は数量限定売り切れ御免! 幻の定食がそのヴェールを脱ぐ記念すべき日なのである。

 
14. バスタオル

「ったくお前、女なんだから、自分の髪の毛くらいちゃんと拭いてこいっつーの!」
「いいの! だってあんたにやってもらった方が気持ちいいんだもん」
 洗い立てのそれがふわふわで気持ちよくて、抱き締められてるみたいって言ったらさすがにヒくかしら?

 
15. 日記

 代わり映えのない日常を送っていると、書くことはすぐなくなってしまう。別に波乱万丈の人生を歩みたいわけではないけど、一日に一つくらい、何かの小さな事件くらいあってもいいと思うの。
 そう愚痴ると、友人たちは揃って呆れたように言うのだ。
「言っとくけどそれ、あんたが三日坊主になる言い訳にもならないから」
 ……………………ちぇっ。

 
16. 花盛り

 彼女が笑う。その背後に花を見たのは、きっと俺だけではない筈だ。

 
17. ペンケース

 途切れた集中力にふと顔を上げると、視界を掠めた新品のそれに思わず頬が緩む。大事に使ってねとは言われたが、わざわざ言われなくともそうするつもりだった。
 だってこれは、大好きなあの子からもらった初めてのプレゼント。

 
18. ナマエ

 今、何て。
 かけられた単語(そう、単語だ)(言うなれば名詞)に驚いて顔を上げた。そこで、ああ普通に流してしまえばよかったのだと気付く。まったく、こいつに逢ってから今日、ペースの乱されなかった日はない。
「ん? どうかした? あ、言っとくけど今更『先輩』とかつけないからね、なんかムカつくし」
 無意味に偉そうでと、意味の解らない理不尽な言葉を吐き、つい先程自らが吐き出した単語など忘れたように歩いていく。けれど俺はただ阿呆のようにその場に立ち尽くしたままだ。無様だと、早く足を動かさねばと思うのだが、四肢は思う通りに動いてくれない。おかしい、この身体は完全に俺のものになった筈なのに。
「どうしたの、置いてくよ?」
 さすがにヤツ――彼女でも不審に思ったようだ。足を止めて振り返り、こちらに声をかけてくる。前だけを見て真っ直ぐに突っ走ることしか知らなかったこいつが、今や振り返って誰かを待つことを覚えたらしい。時間の流れとはかくも偉大なものなのか。それともこれは、かの幼馴染の功績なのだろうか。まったくもって、その苦労心労痛み入る。
 それでも動かない(否、動けないのだが)俺に、彼女は小首を傾げて何かを思案していたが、不意にぽんっと手を打った。
「……もしかして、そんなに驚いた?」
 こいつ、鈍感がウリではなかったのか。
 何が可笑しいのか、ヤツは突然吹き出し、腹を抱えて笑い出す。
「お前ってホント正直な」
 うるさい黙れ。その小さいくせに騒がしい口を塞いでしまえたら、どれだけ気が楽か。
「もう一回呼ばないと動けない?」
 楽しそうだな、実に楽しそうだな貴様。
「呼んであげてもいいよ」
 ただしと、彼女は俺に指を突きつける。そして告げた。この上もなく上機嫌に。
「お前が私の名前を呼べたらね」

 
19. 眠気

 ふわわ、と存外大きな欠伸が出た。傍にははしたないと注意する相手も、憚るような相手もいないので、慎み深く手で隠したりはしない。
 空は青く、風は気持ちよく、陽射しは温かい。空腹も満たされたことだし、なんだかとっても眠かった。ぼんやりした頭で次の授業は何だったかと思考を巡らせるも、回らない頭ではなかなか思い出せない。どちらにしろ、もうそろそろ予鈴が鳴るだろう。走っていかねば間に合わないが、目は勝手に昼寝の最適ポイントを探し当ててしまった。イイ感じに出来た日陰、風に揺れる草木の柔らかそうなベッド、ああ空は青い。
 抗い難い誘惑に、今回もとうとう白旗を揚げる。教室で硬い椅子に座り硬い机に突っ伏すより、外で植物の柔らかな匂いに包まれて落ちる眠りの方が快適に決まっていた。

 
20. 要求

「ハ〜イマイスイートハニー! いつまでも意地を張らず、素直になってボクと付き合う決心はついたかな?」
「死ね」

 
21. 読書

「お姉さん、これ読んでください」
 最近出来たばかりの弟は、何故だかよく懐いてくる。自慢ではないが、少女らしい愛想も可愛げも母親の胎の中に忘れてきたとしか思えないような私に、物怖じせず近寄ってくる子供はこの子だけだ。少々気の弱いところのある少年だが、将来は大物になるのではないかとこっそり思っている。
「どれ?」
 ノートを閉じて振り返った。
 宿題の最中であったのだが、恐らくありったけの勇気を振り絞って声をかけてくれたであろう弟を、邪険にしないくらいの気遣いは私にもある。
「これです」
 差し出された冊子を見て、さすがの私も少々固まってしまった。
「『国語の教科書』……」
 それは確かにこの子の学年のものであったが、読み聞かせの本にはあまり適さない気がする。本を読むのは好きな方ではあるが、これを一冊すべて音読しろと言われれば是非遠慮したい。
「あっ、あの、宿題なんです。先生が、家族の誰かに何かお話を一つ読んできなさいって……」
 私の様子に何を思ったか、慌てて訂正を入れてくる。こちらの反応を恐る恐る窺うその様子は、まるで子犬か何かのようだ。私は一つ息を吐いた。
 最近まで他人でしかなかった私を、この子はもう家族と呼んでくれるのか。
「いいよ、何読む?」
 言うと、びくびくしていた子犬はぱあっと顔を輝かせた。
「ありがとうございます!」
 にこにこと、それはもう嬉しそうに寄ってきたので、私も椅子から降りてぺたりと座った。手元を覗き込むように私の膝に身を乗り出してきた弟をそのままにしておく。
 ここ、と示されたページを音読している間、私の心は不思議と温かかった。

 
22. ドラッグストア

「それでは、ご自分のお名前と出身校を教えてください」
「はい。○×大学から参りました、松本清と申します」

 
23. 満足

 これで満足かと尋ねかけてやめる。そんなもの、顔を見れば問うまでもないことだ。
 血塗られた唇が、二ィと弧を描いて裂けた。

 
24. ただいま

 知らなかった。
 その四文字を吐き出すことが、こんなにも嬉しいことだったなんて。

 
25. 

 歌う。謡う。詠う。唄う。
 起きた後も、食事の前と後、水浴中、寝る前に一曲口ずさむ。
 嬉しかった日も悲しかった日にさえ、この歌声は止まらない。
 森の中でも町の中でも、聞いてくれる誰かがいてもいなくても。
 声と枯らすようなことはしない。だってあのひとと私の絆は、ただこれだけしかないから。

 ねえ、あなたは何処にいるの?

 
26. 何より大事なもの

「持てないよ、そんな恐ろしいものは」
 その人は言った。どこか寂しそうに眩しそうに、懐かしい何かでも見るように目を細める。
「何かをそこまで一途に想えるほど素直な生き方は、もうできないなあ」
 そう言って、空を見上げた。

 
27. 曇り空

 空は曇天。今にも泣き出してもおかしくはないのに、なかなかそうはならない。
「やあねえ、ハッキリしない天気って。降るならさっさと降りなさいよっ」
 こんな天気には必ず愚痴っぽくなる彼女に苦笑した。
「君がそんなに怒るから、きっと泣きたくても泣けないんだよ」
 誰かさんみたいにね。

 
28. ゼリービーンズ

「こうやって押しつぶして、外から食べるのが好き」
「汚い上に邪道すぎる!」

 
29. 写真

 ふう。
 せわしなく動かしていた手を休めて、ちょっと一休み。ずらした足が何かに辺り、少々不審に思って屈んだ。
「あっ……」
 思わず小さな声を上げて拾う。それと同時に胸に湧き上がる、あの恥ずかしくもいとおしい日々。
 忘れないよ、いつまでも。たとえ薄れてしまっても、きっと何度だって思い出す。
 私の未来にみんなつれてってあげる。

 
30. 終わりのない

 当たり前のように昇る太陽は、緩やかな新しい一日をつれてくる。  待っているのは他愛ない会話。退屈な昨日の繰り返し。来られても困る世界の終わりに思いを馳せるほどには暇な毎日だ。
 けれどもし世界が終わると言われても、私の一日は大して変わらないと思っている。いつも通りに起きていつもと同じメニューの朝食を食べ、いつもと同じ時間に家を出るのだ。だってそれしか出来ないもの。
 変わらないものはない、終わらないものはないというのなら、世界の終わりは近かろうが遠かろうが確かに訪れるだろう。願わくは私は、この星の最期の瞬間まで何も知らないままでありたい。そうして、繰り返してきた日々と同じように、ばいばいと友達に手を振りながらすべてを終えるのだ。
 緩やかすぎる、怠惰とも言える日々は、確かにつまらない。劇的な変化のない毎日は飽きてしまう。けれど同じものなどなくて。
 同じなのではなく、変わらないだけ。
「……おはよ」
 寝ぼけ眼の挨拶に、確かに返る声があるなら。
 たとえば今日で世界が壊れてしまっても、私の一日はいつだって、何度でも始まるのだ。




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